記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

四季のアンサー『グロリオサの花言葉』感想と考察

FLOWERS ドラマCDの最終作である『グロリオサの花言葉』を聴きました。

グロリオサの花言葉が8/30(発売日)に到着。コンサートDMも封入。

四季の外伝である花言葉シリーズの最終作。
今回は千鳥と立花というバレエに熱を注ぐコンビにフォーカスして話が進んでいきます。
『ストレリチアの花言葉』で本編の主役に当たる人物たちのその後を描き、『オクサリスの花言葉』と『アベリアの花言葉』では反対に本編でフォーカスの当たっていなかった人物を中心に話が展開されているという流れでした。
そして、今回の『グロリオサの花言葉』。前者2つのハイブリッド型であったのではないかという感想です。
まず、今回の主役は千鳥と立花。主要人物でありながら正直本編では絡みが比較的少ない組み合わせ。ですがバレエに関して情熱を注ぐ者という共通点が存在。フォーカスの当たっていない主役同士の後日談といった感じでした。
4年に渡って描かれた花言葉シリーズの大トリ(外伝はまだ続きますが)。
正直、なぜこの組み合わせ?という思いが強くありました。
でもその理由はCD視聴でよく理解できたんです。

メッセージ的な意味でグロリオサの花言葉のこそFLOWERSシリーズのアンサーだと思えました。

まず、舞台は3年生となった蘇芳を始めとした皆、
バレエ発表会においてプリンシパルを決める、学院生活最後の夏。
千鳥視点と立花視点を繰り返して話が展開していきます。
ここで本編夏を振り返っていきましょう。
夏といえば、ウサギ事件の下り、(フックマンは置いておいて…)
朗読劇とバレエといったイベントがありましたね。
えりかが千鳥と出会い、それぞれのイベントを通じて成長していくそんな話でした。
グロリオサの花言葉も、夏という時系列というのもあって同じような流れで構成されていました。同じ流れだから、成長を見比べやすい
…だけでなく本作品の根幹となるのは友情。恋人であるえりかの立ち位置とは、千鳥を全面的に支えていくのとは少し違くて、見守る存在として描かれていたのです。
それは他の人物も同様で、蘇芳もマユリも姉妹も鶴見さんも…

結果的に恋人とは苦難を一緒に乗り越えていく存在だという点に変わりはありません。
しかし恋人という存在がゴールまでずっと付き添うのではなく、倒れそうになったら支え、自分でゴールへ進んでいけるように背中を押していたことが花言葉シリーズのトリであった点です。
恋人の立ち位置の描き分けが過去にみたディズニーコード1.0~3.0に被るなぁと感じましたので、少し紹介。


ディズニーコードとは?
→過去のディズニープリンセス作品を1.0,2.0,3.0へ年代と特徴ごとに分類したもの。
①ディズニーコード1.0
・夢:与えられるもの
幸せ:誰かと結ばれること、相手から与えられるもの
自分自身:大きな変化はない
(シンデレラ,眠れる森の美女,白雪姫)
②ディズニーコード2.0
・夢:自分でつかむ
幸せ:誰かと結ばれること、自分でつかむ
自分自身:社会と共生するためなら自分を否定することもやむを得ない
(マーメード,美女と野獣)
③ディズニーコード3.0
・夢:自分でつかむ
幸せ:誰かと結ばれることだけとは限らないし自分でつかむ
自分自身:社会と共生するために自分を肯定する
(アナ雪,ラプンツェル)

参考:荻上チキ,『ディズニープリンセスと幸せの法則』2014,星海社
引用:『アナ雪』が流行った理由とは? 荻上チキ×トミヤマユキコ(FRaU編集部) | FRaU (gendai.media)

(*どのコードが良い悪いの話ではなく、3.0が同性愛関連の問題と類似する部分があると講義で教わったことがあるため、思い出しつつ絡めて書いた次第です。)

FLOWERSを知ったあとに3.0の存在を知ったため、当てはまるのではないかと考えた次第です。
ここで書きたいのはFLOWERS本編が3.0よりも前の価値観であるということではありません。むしろ本編で描かれた3.0感を強調していたのが花言葉シリーズだと考えたのです。
冬篇で演劇に使った作品であり再開シーンであったシンデレラは、1.0。でも前回の記事で書いたようにシンデレラのような構成では終わらせなかったのがFLOWERS。自分を曲げることなく社会と共生していく様を描いたストレリチアの花言葉、及びFLOWERS20。
ここからさらにメッセージを補填したのが本作品。それは3.0の特徴として本編で描かれなかった"幸せは恋愛だけとは限らない"というポイントです。
本編の立花の立ち位置は、"恋人がいないキャラクター"。
では恋愛をするキャラクターたちをメインに描くFLOWERSにとって、彼女は幸せではないのか?
そうではないでしょう。
シリーズのトリに立花が選ばれた理由はここだと思います。
それだけではなく、立花の生い立ちにも背景は存在すると言えます。まず、養子となったことから自身のためではなく、付帯する名誉のためにバレエを始めたということ。千鳥とライバル対等なとなったことで、自身にとってのバレエを再定義できたのです。誰かに認められるためのものではなく、自分が成長するためのもの。
火をつけた原因は嫉妬だったとしても、お互いをリスペクトし合う羨望が灯続けていくんだと感じています。

では、恋人のいる千鳥はどうなのか。
私は千鳥もまた、"幸せは恋愛だけとは限らない"を強調させていたと考えました。

「今回もえりかと相思相愛だったし、なんなら”立花ルート”始まりそうだったのに何を言い出すんだこいつは」

とお思いかと思います。
でも、ここで今までの千鳥を思い出してください。
えりか(恋人)と出会ったことで変わったという側面が大きかったこと。(食生活、持病、言動)
二人の性格的にえりちどの恋愛感情は友愛に近しいながらも、互いが親であり、互いが子のような一面もあった。夏のえりちどは所謂ニコイチ。
今回の千鳥は「えりかに頼ることなく」後輩と打ち解け、うさぎ事件を再度解決し、かつ自分の人生における"バレエ"を再定義することで親友ができたのです。
千鳥にとっての再定義、それは楽しむことです。
本番において大切なことはこれだ、と言い放ったえりかの言葉だから結局ニコイチじゃないかという所ですが、これもそうではないです。
まず、終盤で千鳥は明らかに実力が自分よりも下だとわかっていた立花にプリンシパルを譲ろうかと交渉を仕掛けるのです。
これに対し、立花は憤慨。
千鳥はえりかに叱られながらも反省し、また立花も反省と同時に「対等に戦えるよう努力しよう」と決意するのでした。
終了後も、2人はバレエでお互いを高めあう親友と言う存在へ。
ここでのポイントは、えりかはあくまでヒントをあたるだけで、答えに辿り着いたのは千鳥1人だけ。
もうこれは、本編では最後まで描かれなかった千鳥の目覚めそのものではないでしょうか?
本作はエンディングとして、最後に「Chaleur」が流れる部分も印象深かったです。
「深く眠る 棘の棘に囲まれている私 いつかは目覚めさせてくれる」
えりかと共に棘の中で目覚めることができた夏、冬で王子役を共に行ったマユリとの出会いも含め、1年の月日を経て本当の意味で「自分にとってのバレエはなんなのか?」という疑問(棘)から解放される。
夏篇では目覚めさせてくれたのはえりかだと考察することができましたが今は違う。
流れた部分で思いました。そもそも「Chaleur」がFLOWERSそのものを体現しているのではないか。どの登場人物もそれぞれ棘に囲まれた状態から自分で抜け出して自身の夢へ向かっていく。
グロリオサの花言葉は、夏篇解答でありFLOWERSの解答であると感じました。だからグロリオサの花言葉の通り、FLOWERSを観るといつでも羨望を持てると共に、熱くなれる。
本編では平気だったのに改めてこの曲を聴いて作品の意味がわかった瞬間、少し堪えきれなかったです。
同時に花言葉シリーズ3作品もなんだかんだ1週しかできていないので、コンサートまでには絶対にもう1週すると誓ったのでした。

さて、オーケストラコンサート当落まであと16日。
緊張しかない…




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?