空想書店

 まず、現実に存在する書店の話から始めよう。
 世界のどこへ行っても、わたしが最初に足を運ぶところは書店であり、古本屋である。本を手に取らないと旅行した気分になれないのだから、我ながら変な癖だ。そうやって、あちこちの書店を見てきた。そのなかでわたしがいちばん好きなのは、マドリッドの中心街グラン・ビア通りにある、カサ・デル・リブロという、創業八〇年の歴史を持つ老舗書店である。
 細長い店だが、入ってみると不思議に広く感じる。天井が高い。というか、一階の中央部に二階に通じる階段があるのでそう見えるのだろう。この空間の中では、書物たちが自由にゆったりと呼吸をしているような気がしてくる。文芸コーナーでは二重書棚になっている部分があって、その奥から思いもかけない掘り出し物が出てきたりするのも楽しみの一つだ。ここでは、本を手に取る人たちもゆっくりとしたひとときを楽しんでいるように見える。
 そこで、空想書店だ。わたしは、退職したら書店を開こうと、それこそ本気で考えたことがある。本を売ってもうけるつもりはないから、本のあるスペース、どちらかと言えば私設図書館に近い。店の名前は、「本」と「若島」を足して「ほんわか」。この名前を思いついたときに、もう存在が保証されたのも同然だという気がしたのだから妙なものである。店には、広いテーブルをいくつか置こう。ゆったり座れる椅子も配置しよう。本の空気を吸いにきたお客さんには、コーヒーでも出そう……。
 そんなことを夢想しながら、現実の我が本棚を眺めると、整理のしようがないほどに乱雑を極めている。本が押し合いへし合いして、悲鳴をあげている。これではとても、カサ・デル・リブロを夢見ることなどおぼつかない。やれやれ、どうやら「ほんわか」も空想にとどまる運命なのか。


「ほんわか」おすすめの5冊

湯川秀樹『旅人ーある物理学者の回想』

 十代に読む本。人生とはどこまでも考え続けることなのだと、この名著を読んで学んだ。

阿佐田哲也『麻雀放浪記(一)青春篇』

 二十代に読む本。青春とは無意味な行為に熱中することだと、このピカレスク大長篇小説を読んで学んだ。

●別役実『満ち足りた人生』

 三十代に読む本。この作者にしか書けない人生論で、この本を読んでも人生の役には立ちませんからご注意。

山村修『気晴らしの発見』

 四十代に読む本。中年の誰もが体験するはずの、肩コリならぬ心のコリを、気持ちよく揉みほぐしてくれる。

早川良一郎『さみしいネコ』

 五十代に読む本。定年後の楽しさを綴る。こういう老後が待っているなら、人生もそう悪くはない。

(初出:2008.4. 読売新聞)


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