天国と地獄

 わたしは団鬼六に会ったことがない。それを言うなら、恥ずかしながら、『花と蛇』を代表作とするSM小説も読んだことがない。それではたしてこの解説を書く資格があるのかどうか、大いに疑問だと言わざるをえないが、それでも将棋というささやかな一点で間接的なつながりがあるので、それだけをたよりに書いてみようと思う。
 団鬼六が初めてわたしの視界に入ったのは、本書にも出てくる、今は亡き将棋雑誌『将棋ジャーナル』で、プロアマのお好み対局として団鬼六が登場したときだったと思う。手元にその雑誌がないので、くわしいことは記憶していない。相手のプロは誰だったか(現役を退いた棋士だったような気がするが、自信はない)、手合いは飛落ちか角落ちか、すっかり忘れている。しかし、たったひとつ記憶しているのは、その棋譜を並べてみて、団鬼六が予想以上に指せる、と感心したことだ。勉強しておぼえたという将棋ではない。いわば身体でおぼえたという将棋だ。ところどころに力強い手が出てくる。町道場の二、三段あたりの実力はありそうだ。その将棋の勝敗はどうだったか、これも記憶はない。おそらく、団鬼六がいい将棋を作りながら、負けてしまったような気がする。いわゆるお稽古将棋なので、勝つか負けるかにこだわるのは野暮というものだ。石にかじりついてでも勝ちたい、という将棋ではなかったと思う。いずれにせよ、将棋を楽しむ文士として、団鬼六はわたしの記憶に残ったことはたしかだ。文士で将棋愛好家というのは、昔でいうなら菊池寛をはじめとして、大勢いる。わたしもそうした人の将棋をじかに見たことが何度かある。彼らに共通して言えることは、概して将棋の線が細いということだ(少し強いな、と思ったのは保坂和志くらいだろうか)。そういう印象があるので、余計に団鬼六の将棋の太さが記憶に残ったのに違いない。

 ここでいまさら述べるまでもないが、将棋のおもしろさは、なによりもまず、ただの遊びだというところにある。九掛ける九の枡目がある狭い世界の中で、駒を動かしているだけのことである。将棋を嗜まない人間にとっては、そんなつまらなさそうなことがどうしておもしろいのか、理解できない。将棋に血道をあげる人間というものが、理解できない。よくて、あまり金のかからない道楽、としか映らない。
 もちろん、それは将棋を指したことのない人間から見れば、という話である。将棋という摩訶不思議な遊びを知った人間にとっては、将棋はまるで違ったものに見えてくる。アマチュア初段を目ざしている、初心者の段階はまだいい。勉強するのに比例してみるみるうちに強くなるし、勝つ快感も知るし、楽しいことばかりだ。ところが、そこから先は苦しさも増えてくる。強敵の壁にぶつかって、負かされるたびに、全人格を否定されたような気になり、自分はこれ以上棋力が伸びないのではないかと悩む。この悩みは、どれほど棋力が上がろうがついてまわる。そうは言っても、将棋は魔物だ。狭い盤上に自分を追い込んでいるうちに、気がついたら、将棋だけが世界になっている。将棋に費やした莫大な時間は、もう取り返しがつかない。将棋以外の現実世界には、もう戻りようがない。
 そういうわけで、将棋には人を狂わせるだけの魔力がある。一般の人々の目には、日本将棋連盟に所属する、百人余りのプロ棋士たちしか映らないかもしれない。しかし、その背後には、その何十倍、あるいは何百倍もの、将棋に狂った人たちがいる。将棋に人生を狂わされた人たちがいる。そういう人たちにとって、世界は天国でもあり地獄でもある。なにしろ、将棋に勝てば天国に昇ったような恍惚感を味わえるが、負ければそれこそ地獄に落とされたような屈辱感を味わうのだから。勝つ喜びと、負けるくやしさは、どこまでもついてまわる。そしてその二つが、ほとんど人生と等しくなる(勝っても負けてもなんとも思わなくなれば、それは将棋の呪縛から解放されたときだ)。こうした人々を、本書『赦す人』の著者である大崎善生は、数多く目にしてきた。その体験が、『聖の青春』や『将棋の子』といった傑作ノンフィクションに結実したことは、あらためて言うまでもない。そして大崎善生本人が、かつては将棋に狂った人の一人だったことは、本書を読めばわかるはずだ。
 そうした、将棋に狂った人たちには、何かに取り憑かれた人間特有の、熱くたぎった思いがある。将棋の腕前はプロ棋士にはかなわないかもしれないが、将棋に対する熱い思いだけはひけをとらない、と自負する人々がいる。ふつう、そういう思いは盤上で発散するしかない。そうした人々が実際に将棋を指しているところを見た人でないと、そういう思いは想像もつかない。一般の人間の目につくところには現れない、鬱屈した熱い思いを、掬い上げた将棋雑誌がかつてあった。それが、後に団鬼六が経営を引き継ぐことになる、『将棋ジャーナル』だった。一九七七年に日本アマチュア将棋連盟の機関誌として出発したこの『将棋ジャーナル』は、アマチュアの将棋を中心に据え、いかにも素人っぽい体裁と内容が稚拙さと同時に魅力にもなって、読む側も作る側もそれこそ血が騒ぐ雑誌だった時期があった。そして、そこから誕生したヒーローの一人が、小池重明だったのである。
 団鬼六にとって、将棋は最初単なる道楽にすぎなかったはずだ。将棋界のパトロンとして、プロ棋士にお稽古をつけてもらえる、それなりに真剣ではあっても所詮は楽しい遊び、つまりは旦那芸であったはずだ。その団鬼六が、どうしてよりにもよって『将棋ジャーナル』という金食い虫を引き受けてしまったのか。
 老後の道楽、という思いもあっただろう。あるいは、身の破滅を予感するような方向へついつい行ってしまうという、生来の性分もあったのかもしれない(危ない橋を渡ることも、快楽の一つなのである)。ただ、間違いなく言えるのは、まわりに集まってきた、プロ棋士たちも含めて、将棋に狂った人々に、団鬼六が並々ならぬ関心と共感を示したからではないか。そしてその将棋に狂った人の代表として、常軌を逸した人間の見本として、小池重明が登場する。
 その意味で、本書『赦す人』で最も感動的な場面は、第一章の書き出しで、団鬼六が『将棋ジャーナル』のかさむ赤字などからついに鬼六御殿を手放すはめになり、木造二階建ての借家に引っ越してきて、「アホか!」と咆哮して己を呪うところである。それは、そこだけを読めば、それこそ読者も団鬼六のことをアホかいなと思うだけですましてしまう場面かもしれない。しかし、それが真に感動的なのは、第十一章で、小池重明が団鬼六からもらった十万円をチンチロリンに使い果たし、尾羽打ち枯らしてまたしても金をせびりに来た次の場面とみごとに反響するからだ。

「先生、申し訳ありません。僕はもう金輪際、一生、チンチロリンはやりません」
「アホか」と怒鳴りつける鬼六に「いや本当にアホです。僕はどうしょうもない大アホです」などと言いながら将棋盤を持ち出して駒をさっさと並べはじめる。飛車落ちであっという間に二番負かされ、また六万円を巻き上げられて鬼六はまさに踏んだり蹴ったり。

 いずれも、無一文同然の身の上を考えれば、生き地獄のようなものかもしれない。しかし、そこには、思わず大笑してしまいそうな、底抜けの明るさも感じられる。「アホか」と小池重明を一喝した団鬼六は、おそらく何かに狂った者どうしにしかわからない、血のつながりのようなものから来る共感を、小池重明におぼえていたはずだ。地獄の中にこそ天国がある。苦痛の中にこそ快楽がある。そう思うと、それはなにやらSMの世界につながってくるような気もするが、うがち過ぎか。
 人生を一局の将棋に喩えるのはありきたりの手なのだが、ここではどうしてもその手を使ってみたい。団鬼六が指す将棋は、旦那芸の域にとどまるものでしかなかったかもしれない。しかし、本書『赦す人』に活写されている団鬼六の人生は、それこそ指し直しのきかない一局の将棋に似て、波瀾万丈ならぬ波瀾盤上だった。混沌とした局面になればなるほど不思議な豪力を発揮する力将棋で、ただ指したい手を指したいように指した。無茶苦茶をやっているようで、そこには豊かな人生経験に裏打ちされた、独特の勝負勘があった。地獄を見るような大ピンチの局面にあっても、それを楽しんだ。団鬼六は、二十五歳で初めて小説を書いたときのことをこう語る。「筋書きも何も考えずにとにかく書き出したんや。そしたらうまいこと終いまでいってもうた」。その言葉は、団鬼六の人生にも当てはまる。そうやって「うまいこと終いまでいってもうた」人生を、わたしはうらやましく思う。

 わたしはときどき、「若島さんって、あの若島さんと同一人物ですか」と質問されることがある。そこで言われている「あの若島さん」とは、団鬼六の『真剣師 小池重明』にちょっとだけ出てくる、読売新聞社主催の俗称「百万円大会」の決勝戦で、小池重明にあっさり斬られる相手役である。そこが、わたしと団鬼六との唯一の接点だ。思えば、もうずいぶん遠い過去の話になってしまったが、わたしにも将棋に狂った一時期があった。そうやってたずねられるたびに、わたしの心の中で何かが疼く。しかし、そうやって『真剣師 小池重明』に書き込んでもらっただけでも、団鬼六の大きな世界の小さな片隅に居場所を見つけたような気がして、誇らしい気持ちになる。

(初出:2015.6 大崎善生『赦す人 団鬼六伝』新潮文庫 解説)



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