連載「記憶の本棚」 第2回

 一九八〇年頃の本ということで言えば、前号で取り上げた情報センター出版局の「センチュリー・プレス」シリーズと並んで、晩聲社の「ヤゲンブラ選書」も忘れられない。一九七八年の中里喜昭『青春のやぼねしあ』に始まり、一九八三年の保田一章『ラブホテル学入門』で終刊することになるこの選書は、社会派ルポルタージュのシリーズとして異彩を放っていた。ヤモリのシルエットのようでいて、ひときわ目立つペニスケースにどきりとさせられるロゴマーク(選書名は、本多勝一の『ニューギニア高地人』から取られた)。タイトルや著者名と同じサイズのフォントででかでかと表紙に書かれたキャッチコピー(たとえば、津田一郎『ザ・ロケーション』ではこうだ。「ピンク映画のしがねえスチールカメラマンが十年かけて写し撮った、これが愛しい街場の風景でござんす!」)。思わず手に取りたくなるインパクトにあふれた装幀は、杉浦康平+鈴木一誌で、今にして思えばなるほどと唸らざるをえない。
 十九冊あるこの選書から、今回久しぶりにじっくりと再読してみたのは、岩城義孝『深夜のタクシー・ドライバー』(「わしら運転手がバック・ミラーに見る人生は、言ってみれば食べ残しのポップ・コーンなのだ!」)である。これが今読んでもおもしろい。ラジオから野球放送が流れる中、人事異動の送別会帰りの教頭先生が女教師を湯島のホテル街に連れ込もうとして、強攻策もあえなく三振に倒れるエピソードなどは、よくできた短篇小説を読むような味がある。著者がしばしばソース焼きそばにこだわるのは、その昭和軽薄体風の文体とも相まって、椎名誠の影響かと思わなくもない(名著『気分はだぼだぼソース』をふと思い出す)。東京のタクシー運賃の変遷なども巻末の資料として付いていて、この軟派と硬派の絶妙のブレンド加減がヤゲンブラ選書の美点なのだった。
 この選書の書き手たちには、『トルコロジー』の広岡敬一のように、後に「トルコロジスト」としてジャーナリズムで有名になった人もいる。しかし、わたしが気になるのは、この岩城義孝(経歴欄には「現在、無職」とある)や、『ホステス日記』の久田恭子(当然ながら仮名)のように、ルポを書くための取材ではなく、ただ生活するために労働した、その体験をありのままに綴り、無名のままで消えていった書き手たちなのだ。

(初出:2015.2 本の雑誌)

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