連載「記憶の本棚」 第3回

 高校生のとき、よく岩波新書にお世話になった。これには多少の時代背景がある。わたしはいわゆる大学紛争に少し遅れてきた世代に属する人間で、高校生の頃の記憶としてまず思い出すのは東大安田講堂事件である。必然的に、受験勉強は悪という雰囲気がぼんやりと受験生を取り巻いていて、受験参考書を読むんだったら岩波新書をはじめとする教養書を読めという、なにやら偽善的と思えなくもない風潮があったことはたしかだ。その受験参考書代わりの定番として使用された岩波新書は、たとえば漢文なら吉川幸次郎の『新唐詩選』であり、日本史なら遠山茂樹の『昭和史』と家永三郎の『日本文化史』であった。最近の学生に吉川幸次郎を知っているかとたずねても怪訝そうな顔をするばかりで、昭和は遠くなりにけりを最も実感として体験するのはそういうときである。
 そうはいっても、べつに受験勉強のためだけに岩波新書を読んでいたわけではなく、この新書経由で島崎敏樹という書き手に出会い、その文章が当時のわたしの心象風景にマッチしていたらしく、たちまちファンになった。高校生の頃に読んだのは、『感情の世界』『心で見る世界』『心の風物誌』『幻想の現代』の四冊。島崎敏樹はいかにも精神病理学者らしく、初期の著作には硬質なものが多いが、六〇年代に岩波新書で書きはじめてから、次第に一般読者を意識した平明な書き方を心がけるようになった。そういう意味では、日常的な風景の中に人間的な心の現れを読み解く『心の風物誌』(一九六三年)は、硬軟のバランスが内容面でも文章面でも取れているという点で、島崎敏樹の一つの達成だと言える(今にして思えば、学者とは思えない文章の達者さは、島崎敏樹が島崎藤村の甥であったという血筋に由来するものだったのかもしれない)。
『心の風物誌』を今読み返して思うのは、それがいかにも昭和三〇年代の世界を背景にしていることと、矛盾するようだが、そこで描かれた「現代」の景色というものが、今のわたしたちの世界とつながっているような気がすることである。思えば、ややもすると人間を圧殺するような社会の中で、人間が退屈やストレスを感じることは、いつの時代にもあったことだろう。ただ、それをこういう島崎敏樹のような、冷静かつ論理的で、しかも人間的な潤いのある文章で書ける人がそれまでにいなかったというだけの話なのだ。

(初出:2015.3 本の雑誌)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?