歴史を知らない中国人にはこう教えてあげよう。中国に駐屯していた日本軍は国際平和維持軍だったんだよと。

事実上日中間の全面戦争であった支那事変の発端は1937年7月、北京郊外の盧溝橋で発生した謎の発砲事件とされています。

この発砲事件については、誰が最初の一発を撃ったのかは謎とされながらも、中国侵略を企図する日本軍によるものに違いあるまいという根拠のあやふやな日本軍犯人説が長い間、無批判に受け入れられてきました。

けれど、最近の研究によると、最初に発砲したのは当時中国共産党・北方局の書記だった劉少奇率いる共産党分子だったことがほぼ確定的となっています。つまり盧溝橋事件は日本軍が仕掛けたものではないということがいまや明らかになったのです。

しかし日本軍の濡れ衣はいちおう晴れたものの、それでも他国の領土に軍隊を駐屯させていたことに対して、それ自体あきらかな侵略行為であり、いずれにしろ非難は免れないとする声がいまも後を絶ちません。

では、なぜ日本軍は当時中国領内にいたのでしょうか。


そもそものはじまりは1901年、義和団事件後に締結された辛丑条約にまでさかのぼります。

当時の中国は、義和団の乱が収束した後も治安の悪化に歯止めがかからず、事実上の無政府状態でした。当然、各地では強盗や殺傷事件が頻発し、外国人居留民の生命財産も脅かされていました。

それなのに、そうした犯罪を取り締まるべき清朝政府は相変わらず政治的混乱が続いており、このままでは治安の回復は当分望めそうもありません。

そこで、事件後にむすばれた辛丑条約では、治安維持と居留民保護のための外国軍による主要都市への駐留も認めることになったのです。

これはある意味、いまのソマリアのようなものだといえるでしょう。ソマリアには一時期国連軍という名の外国軍が駐留していましたが、それに対して侵略だなどと非難する人がその当時いったいどれだけいたでしょうか? 同様に義和団事件後に中国領内に軍隊を駐屯させるということは、いまでいう国連平和維持軍のようなものだったのです。

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