太平天国エピソード 洪秀全の後裔を名乗る日本人

1930年代はじめのことである。洪秀全の故郷である広州花県の官禄坿にある日、一人の日本人がひょっこりと現れた。

 男は最初、広州の日本領事館に勤務する矢野某と名乗ったのだが、みなが驚いたのはその後だ。「自分は日本に逃げのびた洪秀全一族の後裔だ」と主張したのである。もちろん、村人はそのうさんくさい男の話を誰一人信じようとはしなかった。

 ところが、「父の話によると村の塾の前に一対の獅子の石像を埋めておいたそうだ」と男がいうので、半信半疑ながら、ためしに掘ってみたところ、なんと実際にみつかったらしい。そのため、村人はその男を信じるようになったという。

さらに日中戦争勃発後の1938年、日本軍が広州を占領した際も「洪秀全の後裔」をかたる将校がやってきたことがある。

 男は矢野と一字違いの矢崎と名乗り、「先に皇軍の一部隊が洪秀全一族の宗祠を破壊したことに対して陳謝する。今後、皇軍がこの村に立ち入ることを禁止し、一切の労役や食料の提供を免除する」と村人を集めて布告した後、洪姓の長老たちを広州に招いて酒をふるまい、千元の軍票を与えたという。

これらはおそらく特務工作の一環として日本軍が打った芝居だったのだろう。とくに矢崎のほうは広州を占領した日本軍の宣撫工作のひとつとみてまず間違いあるまい。

 しかし 、もしもだが、本当に洪秀全が生きのびて日本へ渡っていたとしたら…。まずありえない話ではあるが、歴史のロマンを誘うエピソードであることだけは間違いない。

広州で中国人老婆を背負い、避難させる日本兵

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