文化祭総合脚本を務め終えたこと

去年の冬から実行委員というものをしていた。
タイトルには文化祭と書いたが、実際は「例年の文化祭とも体育祭とも違う新たな祭り」だった。その名も「紫陽祭」!
実行委員なんて面倒だし面白くないだろうから今までやっていなかったが、新しいものをゼロから作るという言葉に魅せられて「ワイの斬新なアイデアぶっこんでやんよ」みたいな過剰な自信とともに委員になった。しかしまあそう上手くいくはずもなく、コロナ禍ということでダメ出しに次ぐダメ出し、心もやる気も折れかけていた。そんな中、正式に実行委員が動き出すにあたって部署決めがあった。総務部、競技部、そして企画部。「企画」、これこそ私がやりたかったことだ。検討の段階ではほとんど貢献できなかったかわりに、こっちでリベンジしてみよう!とばかり迷わず企画部へ。なんやかんやあって「開閉会式係」を担当することになった。しかも係長。どうやらかなり自由にやっていいみたいということで、ノリのいい係員たちとともに立ち上げた企画はズバリ、「紫陽祭サブストーリー企画」。開会式で「紫陽祭の物語」が始まり、閉会式で完結する。祭中にもステージで第1話第2話と上演していく。要するに連ドラである。将来はコントプレーヤーを志す私、進んで脚本を買って出る。ここにたった4人のコントグループが始動。
とある1週間、1日1本のペースで猛烈に脚本を書いた。その社畜っぷりには自分でも驚くが、ただただ私は幸せだったのだ。迎えた初めての読み合わせはぎこちなかったけれど、確かに楽しかった。希望でいっぱいだった。
といってコントにかまけているわけにもいかず、春休みには開閉会式係としての「本分」が襲いかかってきた。開会式や閉会式の進行原稿を作る。各部署に交渉して開会式に始まる初日午前のスケジュールを組む。目が回るほど忙しくて泣きそうだったが、なんだかんだ乗り越えた。こんな忙しさは5月にも襲ってきたのだが(しかもコントの稽古も相まってかなりのタイトさ)、仲間の協力もあって乗り切れた。それはいいとして、実は脚本を7本書いたあの時点では、自分たちが使える枠がどのくらいあるのかも不明だったので、何話構成にするのかも固まっていなかった。のちに大幅に加筆修正カットすることになるが、その過程で仲間と話し合いながら作品をより洗練されたものにすることもできた。仲間たちが練習にかける意欲は素晴らしく、セリフをしっかり覚えてくれたりストーリー展開をよく理解してくれたり、さらには衣装も制作してくれたりと、作者冥利に尽きる瞬間が幾度もあった。ちなみに1話だけゲストパフォーマーを3人招集したのだが、私のキャスティングは間違っていなかったと実感させられる素晴らしい役者たちだった。
本番直前にも、学校に8時まで残って稽古し、昼放送用のレコーディングも行った。何もかも上手くいく、そう思った。
しかしそこで事件が起きた。3日にわたる紫陽祭、その最終日の天気予報が「雨」だったことで、総務部がスケジュールの大幅変更を決定したのだ。慌ててスケジュールを確認すると。

上演できる枠が、なくなっていた。

ひとつも なかった

目の前が真っ暗になった気がした。何度も確認して、本当にできないことが分かると、すぐさま仲間たちに連絡を入れた。
「コントの上演は全て、放送で行う」と。
お昼の放送で、ラジオコントを行うのだ。前代未聞の企画だが、みんな柔軟に対応してくれた。
正直、悔しかった。小道具も衣装も演出も、全校に披露することはできなかった。時間の都合上、妥協しなければいけないところもあった。あのエキストラ三人衆の活躍の場も半分に減らさざるを得なかった。マイクが指向性マイクだったから、声が上手く届かなかった。そうやって上手くいかないことがあるたびに、あの時雨予報を出した気象庁を恨んだ。自分があれだけの労力を割いて大事に大事に育て上げた作品が、完全な形で世に出せないことが本当に辛かった。それでも、やるしかなかった。
迎えた最終日は、本当に雨だった。閉会式はMeet配信することになっていた。閉会式では、この物語が完結する。それを皆に届ける方法を、私たちは考えてあった。この日の前日、用事のあった私に代わり、仲間たちが閉会式の計画を先生方と練り上げてくれたのだ。本当に感動した。その計画とは、エンディングストーリーをあらかじめ撮影しておき、仲間の1人に猛スピードで編集してもらって1本の映画にして流す―というものだった。完璧だ、と思った。撮影も編集も無事終わり、(ちゃっかりクレジットも作って)あとは本番を待つだけだ。
本番。

上映に失敗した。

配信に使っていたパソコンのマイクをミュートし忘れた。
かつ、映像再生に使ったパソコンのマイクもミュートし忘れた。
そのせいで、音声がエコーしてしまい教室で聞き取りにくくなった。
かつ、実行委員の話し声が筒抜けになった。
私がその事実に気づいたのは「ここまでのあらすじ」の終わり間際。
全員にストーリーを伝えるには遅すぎた。
「あ、マイク切り忘れちゃった」なんて軽く言った次の瞬間、やっとその重大性に気づき、あの時よりもずっと目の前が暗くなった。もう1回最初から流してと叫びたかった。絶望だった。
結果的にそんなハプニングも笑いに変わっていたならいい。
でも、私は満足できない。
あんなに頑張った作品を…
あんなに頑張って撮った作品を…
あんなに頑張って編集してもらった作品を…
どうして わたしは ちゃんと やらなかった?
最後の最後に油断したんだ。
「あとは流すだけ」なんてふっと気が緩んだんだ。
ろくにリハもしなかったからしっぺ返しを食らった。
でも、吹っ切るしかなかった。
みんなにはある程度ストーリーは感じて貰えたし、笑わせることだってできた。完全じゃなかったのは本当に悲しいけれど、結果はそこまで悪くなかっただろう。

初めての大型創作。本当に楽しませてもらったし、貴重な体験だった。
でももう、二度と失敗したくない。
二度と妥協したくない。
楽しかったけれど、ちょっぴり苦かった紫陽祭に幕を引いて、私は前を向く。
創作者としての道を行く。

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