林家つる子さんによるアダプテーション
林家つる子さんという噺家さん、所作が生々しくて良いのです。
今まで、「ねずみ」と「番町皿屋敷」を見ました。彼女の落語は聞くものではなく、見るものです。
また、彼女オリジナルの古典落語のアダプテーションが素晴らしいのです。古典落語を視点を変えて再創造するのです。
「アダプテーション」とは作品が他の表現メディアの形に置き換えられること(「原作」と同じ表現メディアにおいて形を変えて再現される場合も含む)を意味します。もっとも典型的なのは,詩や小説などの文学作品が絵画や映画,演劇などに変えられて現れることです。
ぼくには、彼女の場合、お噺の構成の見事な再創造であるのは勿論、語り(小説に近い)を演劇にアダプテーションしていると思えるのです。所作が演劇そのもの(もちろん良い意味でです)。
彼女のアダプテーション落語は、「芝浜」と「紺屋高尾」(高尾花魁バージョンと久蔵バージョン)を見ました。なるほどと思いました。また「子別れ」にも2バージョンあるらしいので、これもいつか見てみたい。「子別れ」は元々噺自体好きなのです。今彼女は、浅草演芸ホールでトリを取っているので必ず見れるはずです。しかしながら必ず第一列に陣取っている親衛隊のおじさん達とは違って毎日通える訳ではありません。多分今回の浅草で2バージョン見るのは無理ですね。9月6日(金)、7日(土)なら可能ではありますが、そう調子良く行くはずはありません。
話を再創造に戻します。林家つる子さんの古典落語の書き換えは、アダプテーションと見なされることが多いと思います。彼女は古典落語の名作を女性目線で再解釈し、新たな視点や要素を加えています。例えば、「芝浜」では、おみつさんの視点から物語を再構築し、彼女の感情や行動に焦点を当てています。しかも、初々しくてドキドキする青春アニメのようですらあります。
一方で、彼女自身はこれを「スピンオフ」とも表現しています。これは、元の物語の脇役や背景にスポットを当て、新たな物語を展開する手法に近いからです。
つまり、林家つる子さんの作品は、アダプテーションとスピンオフの両方の要素を持ち合わせていると言えるでしょう。どちらの視点から見るかによって、解釈が変わる興味深い事例です。この練り上げられたお話は、生半可な作家には真似が出来ません。
ぼくは、林家つる子さんの俄ファンに過ぎません。真打披露公演で初めて彼女の「芝浜」を見たのです。ハートを撃ち抜かれました。独演会でのネタおろしも見られて、良かったです。彼女の独演会には、通うことでしょう。もちろん主任公演も。