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大したことない述懐(スルー推奨・自分への言葉)

#Twitterじゃ文字数が足りない ()

最近はTwitterに書き込むことがやや苦痛だ。
自分にとってTwitterというコミュニティは「陽」の場所でありたい。
でも、人は「陽」も「陰」も持ち合わせている訳で、Twitterはアイコンにもなっている「代理ちゃん」が象徴するように「ポジティブ」「陽」の場所でありたい。
作ることが好きで、推し達のことが大好きで、VTuberの優しい世界を自ら後押しするような存在の海神蒼月という虚構(noteでしかこんなこと言えない)。
でも、確実にこの文章を打っている生身の存在(中の人)がいて、「陽」の部分は吐き出せるけど、「陰」の部分は吐き出せない。
それはTwitterのフォロワーさん達が皆いい人で、中の人的にも大事にしたい、不快な思いをさせたくないと思うからこその自戒だ。
もちろん、TLに晒すという行為は衆人環視の中に言葉を投げ込む行為だから、引用もされるし、場合によっては(フォロワーさん以外の手によってなどの手段で)意図しない拡散のされ方もする危険が、noteよりも可能性としては高い。

自分も人の子なので、嫌われるというのはやはり精神的にしんどい。
嫌われたくないと思う気持ちも当然あって、でもだからといってなにも言わずにため込むには、もうキャパ不足になってるのだ。
「話したいこと」とは主にそういうことだ。
Twitterは文字数も少ない。
中途半端な言葉で書けば、曲解や誤解を招き、よりリスクが高い。
だからこそ、このnoteというプラットフォームにやってきたまである。
Twitter共有という橋さえ架けなければ、noteとの間には谷のような境界があってそこを行き来する人はとても少ないのが現状だ。
ましてや自分のような無名の一般人の言葉をわざわざTwitterのフォロワーさんが探してまで見に来ることはないだろう。
あえて共有して宣伝することももう止めにしたし。

だからこそ、ここでの表現はTwitterよりも自由だ。
羽を伸ばして好きなように語れる。
(もちろん誹謗中傷とか一般的な倫理的にアウトなものはアウトだけど、それにしたってTwitterでの発言よりは気を遣わずにいられる)
今はTwitterでの発言も、リアタイ配信でのチャットコメも怖い。
日に日に口数が減り、笑うことが少なくなった。
と、言うより自分でも判るくらい無表情だ。
余裕がないから「陽」の海神蒼月を被ることもままなってない。
Twitterの優しい世界、暖かい世界を自分は自覚している以上に大切に思っているようだ。
推し達とのコミュニケーションのパスとして、そして推しを通じて出会った仲間達とのパスとして、あそこは大事な場所だ。

だからこそ、隔離された半公開のようなこの場所もとても大事だ。溜め込む前に吐き出せる場所がないと、歪む。
それがひいては体調や気力の悪化を呼び、悪循環を生む。

本当はいつも何かに怯えているし、だからといってそれをはねのける程のバイタリティも、今は持ち合わせていない。
このままじゃいけないのはもう嫌というほど判ってはいるけれど、だからといってどうしていいかわからないし、もういい大人(というかおっさんw)だから子供のように手取り足取り導いてもらえる訳でもない。
中身は子どものままだ。
その自覚すら自虐になる。

前職の職場は最悪だった。
中小の食品工場で、そこの社長に請われて入社したのに、入ってみれば初対面の連中に値踏みされ、気に食わないとみるや自分たちの過失をこちらになすりつけ、見下すことでマウントをとり続ける。
嫌がらせは社員同士ではもう当たり前、悪口・告げ口となればパートまでその範囲が広がり、横行し(管理職クラスでさえ社長の悪口を本人の居ないところで公然と言う)、他人の粗を探しては優越感を得て安堵する連中の中にいて、立場の弱かった自分はその負債を一手に引き受けねばならない。
はっきり言ってそこまでひどい集団に居たことがないと言うほどヒドかった。最悪の人間関係だった。そこに相互リスペクトなど存在しない。
それでも、拾ってくれた社長に報いるために5年我慢した。
唯一の救いは、拾ってくれた社長がそう言った事実の横行に感づいて、介錯をしてくれたことかも知れない。
それが証拠に、退職理由も個人都合ではなく会社都合として雇用保険を適用してくれたことにも表れているし、退職後、用事で社長と本社で会った時もお互い終始笑顔で話が出来た。
職場だった工場へは出勤最終日以降、一度も行っていない。
例え土下座で頼まれたってお断りだ。

もう数ヶ月経つがそのトラウマは消えていない。

ハローワークに行っても、腰が引ける。
やはり、怖い。
だから余計にTwitterのフォロワーさん達の優しさが身に染みる。
例えそれが、万が一上辺だけのものだったにしても(そうではないと自分は信じているからこそこう書けるんだけど)、自分は間違いなく救われたんだから感謝しかない。

今年の初詣、おみくじは大吉だった。
地元の神社の神様も見守ってくれていると信じている。
推しのおみくじも「はんぱねぇ 大吉」だったw

今年の大きな目標は経済的な安定と、noteに楽しい優しい嬉しい話題を語ることだ。
負債も溜まってきたからそれの返済もある。
推しのことを心底純真100%の気持ちで楽しく応援できることも目標だ。
だからまず今すべき事はお金の問題を解決しなくては。
生きてる以上、避けて通れない現実に打ち勝たないと、その先もないことは社会人やってきて大いに(少なくとも頭では)判っていることだ。
もう夢を追う歳じゃないことは判ってるし、そんな経済的・体力的余裕もないから、出来ることをやるしかない。
自分はしがない一般人だと言うことをもっと強く肝に銘じないと。

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