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「有能なヤツ程辞めていく」の論理

【閲覧注意!】かなり辛(から)い話をしています!!
場末の居酒屋でくだを巻いているおっさんレベルの愚痴のようなモノと理解して読んで欲しい。

※本当はTwitterに連投しようとして辞めたツイ。
何故かというと、今フォロワーさんに精神の健康を害している人がいて、その人は今 一所懸命に復活を果たそうとしている。
その人に誤解されたくないからだ。
この話はあくまでも精神的に「普通」な集団のことを唱えている。
そこの誤解をTwitterでは解けないと判断した為であることを先に申し述べておく。
なお、一部文字数制限から解放されて加筆と、先頭に番号の無いブロックの追筆をした。
では、以下本文。

1.よく「有能なヤツ程辞めていく」なんて言うけど、あんなのちょっと考えただけでもわかるあたりまえ体操なんだよな。
同じ部署に有能と無能(便宜上の呼び名)がいると仮定して、その集団でこなす全体ノルマがあるとする。
もちろん手分けする訳だ。

2.無能は能力の問題か性格の問題か平均以下の作業しかこなさない。
ならば個人ノルマに足りない分はどうするか。
全体ノルマをこなす為には個々が個人ノルマをこなす必要がある訳だから、足りない部分は「誰か」が補完する必要がある。

3.その「誰か」は勿論作業をこなせる「有能」が受け持つ。結果的に出来る有能は多くをこなし、出来ない無能は個人ノルマ負債を生む。
作業量に差が生じる。
有能は他人のノルマまでやらされる。
勿論報酬は変わらずに。
基本有能は意識が高い(もしくは優越感)から初めは文句を言わない。

4.しかしあるときに有能は我に返る。
なんで無能はあれしきの仕事で許されるのに、自分は「早く上手にこなせるから」というだけで無能のような楽な仕事量で許されないのか?
早く作業を終わらせるのは無能を楽させる為ではなく、自分に余裕を持たせる為なのに。

5.結果。
楽な作業量で許される無能はそのぬるま湯さ加減に甘んじるから辞める理由がない。
人間は楽を求める生き物なので無能の作業量に周りも合せてゆくから平均者の無能化が進む。
その膨れゆく負債を押しつけられて余計な作業を同じ報酬でやらされる有能は不公平さを感じてそれが怒りや呆れに繋がる。
そうなれば当然そこから離脱しようとする。
そこまでしてこの集団に居る意味があるのだろうか?と疑問を持つからだ。

自分の作業の最適化もせず、「出来るヤツにやらせれば良い」と言う集団からは有能は去る。
そういう集団は大概 全体の作業の質も効率も落ち、意識も低いので大抵腐っていく。
散々有能に負債を押しつけていた無能達はその有り難みすら理解しない。
有能が嫌気が差すのも当たり前。
あと「無能は自覚がない」から、無能は「普通」の作業量をこなしていると思っている。
なんなら『「有能」が他のノルマを奪ってポイントを稼いでるのだ』くらいの感覚でいることも少なくないのではないだろうか。

器用貧乏、という言葉がある。
仕事場において自分はまさにそれかも知れない。
また根っこは面倒くさがりであるが故に「必要以上のことはしたくない」と思っているし、自分が楽する為の作業の効率化という努力はするし、仕事場では当たり前のように作業ノルマが課せられるので「どうせやらなきゃいけないなら、とっとと終わらせた方がいい」と考えるタイプで「逃げたところでどうせ結局やらされる」ならと考える。

しかし大抵の職場ではこれは損をする考え方だ。
上司だって「当てにもならない出来の悪い無能」よりも「当てになる出来る有能」に仕事を振るに決まっている。
折角自分が楽をする為に作った余裕を「手が空いている」とか言い出して余計な仕事を振られる訳だ。
報酬なんて変わらない。
同じ金を貰ってもたもた楽に仕事をしている輩を羨ましくも妬ましく思う訳だ。
それが現場で偉そうにしていれば正直ストレスは増大する。
これは、他人に理解出来ない論理なのだろうか?

【あとがき】
今日はその日頃溜まった鬱憤がついぞ小爆発したのでこんな話を書いた。
反論もあるだろうが、こんなことを腹に抱えて一見前向きに作業に取り組んでるおっさんもいるって事は、覚えておいた方が良いかもしれない。
自分だっていつも、いつまでも笑っていられる程、聖人君子では無いのだからね。
ではまた。

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