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【女子陸上選手はなぜ“セパレート型”ユニフォームを着る? 努力を踏みにじる「性的画像撮影」の卑劣さ】 だってさ、男性諸君。どうよ?

この話題は松原孝臣という方が作成したNumber web上の記事について個人的な感想をぶっちゃけます。元記事は以下のURLからどうぞ。
https://number.bunshun.jp/articles/-/846814
正直この記事にはカチンときたし、それがTwitterのトレンド欄に載ったことが納得いってないので、文書き素人のお気持ち炸裂です。
良い悪いはさておき、一方的な論調に流されないための記事としてお読みいただきたい。

美しき異性をエロい目で見るのは人間の本能だ

別に犯罪行為を擁護している訳ではありません。(ここ重要)
しかしながら、地球上にこれだけ人間がいれば、なんに対してだって性的興奮を覚える人間は一定数居るんじゃないですかね。
変な話、無機物相手にだって性的興奮する人だっている訳だし、男女問わずじゃないですか?
その観点からしてまずは「アスリートに対して性的興奮を覚えるという感覚」という点に関しては肯定したい。
人によっては被虐に性的興奮を覚える人も加虐に興奮を覚える人も居ますよね?良いとか悪いとかの議論は置いておいて事実としての話ですが。

ならば、例えば男子水泳選手に女性が性的興奮を覚えるのは非難しないんですかね。
女性が男性の局部の盛り上がり具合にハアハアしたり、胸板を滑る水滴に限界したりするのは良いんですね?
そういう方だっていますよね?
今回の記事のように今までの水着の改良の歴史を努力と称してそれらしく揚げへつらって、こんな風にまるで犯罪者を吊し上げるが如く非難しないんですか?
そこについて誤解・曲解だというならば、「アスリートに対して異性が性的興奮を覚える」という点の一致をどう説明しますか?
是非とも素人の後学のためにご教授戴きたいものです。
正直言って、男女が入れ替わっただけで言ってることは大筋で変わりが無いと思っているんですけどね?
女性なら男性のアスリートに性的な興奮を覚えても良い。ただ「オタク野郎共、オメーらはダメだ」って感覚なんでしょうか。理解に苦しみます。

ましてやこの記事を書いた方は男性。
さも自分は清廉潔白、他人をエロい目で見たことないような聖人ぶった物の言い方をしているようですが、本当に非難するべきは「盗撮等の犯罪」や「感じた性的興奮を下卑た表現で公衆に晒す行為」(勝手に被写体を徒に辱める行為)そして「プライバシーの侵害行為」であって、性的興奮を覚えることに対してでは無いはずです。
論点がずれてるんですよ
エロい目で女を見る男は悉く汚らわしく侮辱的だ、とでも言いたいんでしょうか。自分も男性でしょうに大したご高説です。

それを言い始めたら、Twitter上の女性を描くイラストの多くは侮辱を掲載する行為だ

この方はもしかしてそういう思想をお持ちなんでしょうか。
性的興奮を誘うようなイラストなんて男女問わず対象になった作品がゴロゴロしているし、そう言った物が公然と衆目に晒されている事実をどう受け止めていらっしゃるのでしょうか。
種の存続本能として、ヒトが美しい(魅力的な)異性に対して性的興奮を覚えるなんて本能レベルの当たり前さだし、逆にそれすらない枯れた人間ばかりになることをよしとしているんですか?そうだとしたら恐ろしい思想ですね。
そんなこと言って女性サイドからばかりでなく男性サイドからも男性を言葉や風潮で弾圧するから恋愛難民がバカみたいにいる現在があるんでしょう。
女性はどこか思考の根底に多くの男性を汚らわしく、気持ちの悪いものだと認識し(少なくともそういう言葉や態度を見たり経験する機会があり)、そういう風潮を作ったがために誰だって持ってる良さから視線を外され、こき下ろされた男性諸君は、もう自分を諦め、思い込みやさぐれて歪んでいっているのが現状なんじゃないですかね。
女性に相手にされないし近づきもされないから性的欲求不満や対人的な欲求不満から犯罪行為や卑劣な行動(痴漢・盗撮・強姦・ストーキング等の犯罪行為)や衝動的な行動(抱きつき行為等)に出る。
場合によっては普段自らを弾圧し、いつも見下した目で見る「女性という種」の中で自分が優位に立てる数少ない幼年期の異性へ、その矛先を向ける。いわゆる悪名として知られるペドフィリアってヤツです。
それを加速させ助長するような記事を、それをあたかも自分は蚊帳の外で傍観者を気取る物言いで流布する行為はとてもとても褒めたくなるものではありませんね。
そもそもにしてどんな写真であれ、明らかに局部や性行為そのものを写した性描写に特化した写真でも無い限りにおいては写真に添えられた言葉1つで、その印象は大きく左右される訳で、現にこの記事のTwitterサムネイルにはセパレートユニを着た3人の女性アスリートの写真が使われており、それは何故いいのかというところをきちんと提示していない。
そここそ問題の本質なのだから、きちんと説明しなくては。
正しい問題点を取り上げ、そこをきちんと指摘啓発して男性を護ってあげるって事は出来ないんでしょうかね。
お金もらって文章書いているプロなら、できなくは無いと思いませんか?
適当にお気持ち語るだけなら、ただの一般人である自分でさえ出来ていますよ?

記事にする写真と【侮辱的写真】の決定的な差とは?

例えば陸上選手のスタートシーン。
クラウチングスタートで前屈姿勢で尻を高く上げた状態で待機する女性選手の列を後方から撮る。
そんな写真があるとします。
陸上短距離そうなら別段特別でもなんでもないワンシーンだろう。
スタート前に前方から写真を撮る訳にもいかないだろうし、後ろからの構図で撮ることだって珍しくは無いのではないだろうか。
これ自体はその事実だけを物語るもの以上のものは無い。
エロ心はこの時点ではまだ、写真には介在してないのだ。

ところがこの写真に次のような言葉をそれぞれつけたらどうだろうか。
1.
スタートの瞬間!選手達の緊張で張り詰めた世界!

2.
アスリート美女の引き締まった尻!興奮の瞬間!
写真自体は変わらないんですよ?
全く同じ写真につける言葉1つで、視点誘導で印象なんて変わるもんだ。
もう1つ例に挙げましょうか。
今回話題としてとりあげた記事のTwitter共有時のサムネに使われていた写真です。
https://number.bunshun.jp/articles/photo/846814?pn=1
これにも、
1.
レースを終え、メダル獲得の喜びに笑顔を見せる選手達
2.
レース後に笑顔で見せたスレンダー3人娘の美しいボディ
と、それぞれに違う見出しをつけたなら受ける印象は?
写真自体は変わりが無い。
変わったのは添えられた言葉とそこから受ける印象だ。
撮られた写真に悪意がないのであれば、悪意が混入したのはその使用方法や意図である
そこを間違えてはいけない。
非難するべきは「意図の無い事実の切り抜きに意味を後付けして被写体を辱める行為や思考であるべきで、それを「性的欲求を満たすために性衝動を煽って流布し、対象となった人物を間接的に陵辱する行為」なのではないか。

それを努力がどうとか関係ない感情論に逃げて、すべてのエロ根性を悪者に吊し上げていい話風にして、いかにも「いいこと言ったでしょう?」とドヤってる感じが非常に気に食わない
そういう輩に限って結婚もしてれば子供も居る。ヤることやったから子孫が出来たんだろ?と言いたい。命の創造だ、別に悪いことでもなんでも無いじゃ無いか。その根源は間違いなく性衝動に端を発している
なにがいけない?
独り身だとして自慰も性行為経験も無い仙人というなら、それは飽くまでも少数派のご高説なのでそもそもお呼びでない。
なまじっかエロを否定する輩にはロクな思想持ちがいない。
なぜならそんな聖人や仙人は非常に数が少ない貴重種だし我々一般人と同一視されても困る訳だし、いや、単純に性に対して無知なだけかも知れない。
エロが悪いんじゃ無い。エロに目が眩んで自重自戒ができないのが罪なんだ
お金は悪者かという話と一緒だ。使う者次第だろ?

誤解だと言い訳するなら誤解されないような言葉や言い回しを使え

先に釘を刺しておくけど、お金もらって言葉を繰るプロならそれくらいのことは当たり前にやってくれ。
で、それをいちいち指摘されて、自分の文章の未熟さを認めることなく、言い逃れやごまかしをするようではTwitterに流れるお気持ち表明と信憑性は大差ないのではないか。
ましてやあれだけ声高らかに他人を啓発、注意喚起するような文章を有名雑誌の名前の付いたサイトに掲載するのだから、その取り扱いはもっと洗練され、的確なものでなくてはならないのではないか。
プロを語る文章書きが、お気持ち表明程度の記事を毎度載せてる雑誌だというなら別にそれでもいいが、もっとしっかりと背筋の伸びた雑誌だと思っていましたよ、ええ。
今こそ自分のその考えを誤解であったと改めるべきなのかも知れませんねえ。本当にそういう雑誌だというならかなりがっかり。
某大手コンビニのサンドイッチのパンをめくったら見えるとこだけにうすーい具材しか無かった時くらいには。

お気持ち表明程度の浅いことをそれっぽく言いたいだけならそれこそ自分だけのテリトリーでやって下さい。
それこそ今ここで自分がやっているように。
会社や組織の看板背負って書いたからには、それがその団体(今回は雑誌社)の公式な立場、思想って理解しても構いませんね?(例えそれが文章の未熟から来る誤解から生じた理解であろうとも)
某プログラムコードの漏洩といい、こうした論点ズレのありがたい記事と良い、昨今のネット界隈のプロ意識とはこんな物なんですか?と悲しくなる。
こう言ったタイプのプロってスイッチが入ると自分が聖人か超のつく達人のような錯覚に陥るんでしょうか。
プライドを持つことは大事ですが、それは仕事に対してであって自分の自尊心を満たすためではありません。
ベテランの達人になればなるほど謙虚で、思慮深いものだと思うのですが。
その技術の素晴らしさに反して「自分なんてまだまだです」と心底言う人こそ、だと思いますよね。
マスゴミ
という言葉も擦り切れ、呆れられて久しいですが、所詮この程度ですか。
Twitterの一般素人や畑違いのプロの言葉の方がよほど本質を的確に突いていたりすることもよくあるので、やはり情報の見極め、取捨選択をする思考や自己判断基準ってヤツの研鑽は大事だし必要ですね。自衛のためにも。
ただの非難批判や全肯定と言った大味な極論ではなく、その情報のなにが批判されるべきでなにを肯定すべきか。
そして見逃すべき無駄にもならない情報を見極め、自分の中で整頓して吸収することが、今の洪水のような情報流の中で自分を見失わない手段であると考えています。
ただ、その実行は難しいものです。
だからこそ、自戒、自重、研鑽は大事なんですよね。
信じる前に調べろ、ですかね。肝に銘じます。

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