『失敗の本質』を読んだ

長らく積読になってしまっていた、
野中先生の『失敗の本質』。

「本質」はやはり普遍的なのだろうか。
1984年という、自分が生まれる前に公開された本から、
非常に多くのことを教えてもらった。

たくさんの人がお薦めしている理由も、
このコロナ禍でも読まれたり話題になったりするのも理解できた。

本自体は、
前半の事件(戦争中の6つの作戦事例)パートと、
後半の失敗分析パートとの、
大きく二つに分かれている。

後半パートから読み始めても、この本からの学びは十分得られるかもしれない。

往々にして、その自己超越は、合理性を超えた精神主義に求められた。

自分は社会科全般が不得意科目であったのは間違い無いのだが、
なぜ日本人は歴史から学べないのか。
なぜ尊い命がこんなにも失われなければならなかったのか。
そんな苦しさを抱きながら読んだメモを残していきたい。

感想を要約すると

・判断一つで大勢の人が死んでしまう。仲間を殺してしまう。
・多くの日本組織では未だ戦争と同じ意思決定や組織編成を続けている。

にわかに信じたく無いのだが、
何十万部も売れている本に書かれていることなのに、
1984年に「失敗」と表現されている事実が日本のあらゆる場所で起きていると感じた。

以下からは、メモの要約。

①忖度すると人が死ぬ

この本で一番印象に残ったこと、
そして今後の人生で最も意識したいと思ったのがこれである。

綾部に同行した南方軍参謀の一人は、第一五軍の幕僚や作戦参加師団の多くが作戦計画に心から同意していない実情を知り、無理な補給の見地からも作戦中止を綾部に勧告した。しかし綾部は、第一線軍司令官の攻勢意欲をそぐことは好ましくないと考え、作戦中止の場合軍内に生じる混乱を懸念して作戦決行に傾きつつあった。そして、作戦中止を勧告した参謀もやがて綾部の意中を忖度してその反対意見を撤回し、綾部は河辺方面軍司令官の確信を確認したうえで、ついに第一五軍の鵯越作戦計画を容認したのである。ここでもやはり、軍事的合理性以上に、組織内の融和と調和が重視されていた。

アジャイルコーチは、時として(忖度ではなく)意図的に落とし穴に落とすことはあると思う。だがそれは、穴にハマってもチームが戻ってこれる道筋までコーチが用意していることで成り立っている。(道筋の程度はコーチに因るだろう。)

組織の意思決定・実施判断は、時として人を殺すことがあるのは、現代においても一緒だろう。

事実を冷静に直視し、情報と戦略を重視するという米軍の組織学習を促進する行動様式に対して、日本軍はときとして事実よりも自らの頭のなかだけで描いた状況を前提に情報を軽視し、戦略合理性を確保できなかった。ミッドウェー島攻略の図上演習を行なった際に、「赤城」に命中弾九発という結果が出たが、連合艦隊参謀長宇垣少将は、「ただ今の命中弾は三分の一、三発とする」と宣言し、本来なら当然撃沈とすべきところを小破にしてしまった。しかし、「加賀」は、数次の攻撃を受けて、どうしても沈没と判定せざるをえなかった。

事実が目の前にあるのに、
事実が正しく共有されなかったり、
事実を隠蔽したり、湾曲させたりすると、
適切な判断ができなくなる。

精神論だけで、組織も戦争も動かしてはいけない。

日本軍の戦略策定が状況変化に適応できなかったのは、組織のなかに論理的な議論ができる制度と風土がなかったことに大きな原因がある。日本軍の最大の特徴は「言葉を奪ったことである」(山本七平『一下級将校の見た帝国陸軍』)という指摘があるように、戦略策定を誤った場合でも、その修正行動は作戦中止・撤退が決定的局面を迎えるまではできなかった。

自分が忖度により言葉を飲み込むこと、組織の中で言葉を飲み込ませてしまう状況があると、望まない方向へ進んでしまう。肝に命じたい。

②戦略(ゴール目標)は必要

行き当たりばったりはアジャイルではない、とよく言われたものだが、
どのくらい計画が必要なのだろうか?

大勢の命や資源を賭けた戦争の作戦を遂行するにおいては、

・勝利イメージ
・そこに至るまでの論理的なプロセス
・コンティンジェンシープラン

最低でもこのくらいは必要だろう。

しかし、本文には以下のような記載があり、目が覚める思いをした。

そもそも戦闘におけるコンティンジェンシー・プラン自体を持たなかったことは、偶然に対処するという発想が稀薄であったことを示しているのかもしれない。

そして以下の引用。
現地調達という言葉は、こんな時に使われる言葉だったのだろうか。
行き当たりばったりをアジャイルと呼ぶよりも酷い。
(そして己を戒めたい・・・・・・・・)

陸軍における兵站線への認識には、基本的に欠落するものがあった。すなわち補給は敵軍より奪取するかまたは現地調達をするというのが常識的ですらあった。

日本は奇襲作戦での成功体験が多く、戦略は長年アップデートされなかったそうだ。

奇襲作戦では補給を自前で賄う必要が無いことから、ロジスティックを軽視する傾向もあったらしい。

消耗戦を選択しながら、持久力のない作戦で仕掛けるのは、
まさに命取りだったのでは無いだろうか。恐ろしい・・・。

③世の中に合わせて形を変えないと滅びる

恐竜がなぜ絶滅したかの説明の一つに、恐竜は中生代のマツ、スギ、ソテツなどの裸子植物を食べるために機能的にも形態的にも徹底的に適応したが、適応しすぎて特殊化し、ちょっとした気候、水陸の分布、食物の変化に再適応できなかった、というのがある。つまり、「適応は適応能力を締め出す(adaptation precludes adaptability)」とするのである。
日本軍にも、同じようなことが起こったのではないか。

当時の日本の教育は、

・模範解答以外は認めない
・世界で武器や戦術が変化していも、教育内容は変えない(フィードバックがない)
・シングルループ学習

といった特徴があったようだ。

日本軍は、将棋のような戦略性をもった作戦はなく、
過去の成功体験を模範解答として叩き込んだ人が評価され、
それを再現することが作戦の勝利につながると信じた。
度重なる失敗に学ぶことなく、組織が変わることなく、続けたのである。

戦前の日本軍同様、長老体制が定着しつつあるのではないだろうか。米国のトップ・マネジメントに比較すれば、日本のトップ・マネジメントの年齢は異常に高い。日本軍同様、過去の成功体験が上部構造に固定化し、学習棄却ができにくい組織になりつつあるのではないだろうか。

学習棄却(Unlearn)は、なんと1984年には言われていた。

戦後に至っても戦闘機としての大きな技術革新として評価されている。ところがその零戦にしても、技術開発陣のヒト資源の余裕のなさも手伝ってその後は場当たり的な改良に終始したため、艦隊決戦という時代遅れになりつつあった戦略発想を覆すものではなく、その枠内にとどまるものでしかなかった。攻撃能力を限度ぎりぎりまで強化した名機は、ベテラン搭乗員の練度の高い操縦によって初めて威力を発揮した。米軍は、防禦に強い、操縦の楽なヘルキャットを大量生産し、大量の新人搭乗員を航空主兵という戦略のヒト資源として活用した。日本軍の零戦は、それが傑作であることによって、かえって戦略的重要性を見る眼をそいでしまった。日本軍は、突出した技術革新を戦略の発想と体系の革新にむすびつけるという明確な視点を欠いていたといえるのである。

この部分はゾッとした。
「ビグザムが量産の暁には、連邦なぞあっという間に叩いてみせるわ!」
(ジムを大量生産していた連邦軍も痛い目を見るのだが。)

終わりに

本から得た教訓は、非常に膨大なものであった。
もちろん書ききれていない部分も多くある。

命の尊さに苦しくも向き合いながら読んだ学びは、今後の人生に必ずや活かしていきたい。

(参考:野中先生のRSGT2021クロージングキーノートでスライドに登場した参考文献まとめ)


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