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【雑記】表計算ソフト栄枯盛衰~むかし、Quattro Pro(クワトロ・プロ)というソフトウェアがあった~

今では、エクセルなどのいわゆる表計算ソフトでは「マルチ・スプレッドシート」はあたりまえの仕様です。いくつもの表計算シートを、見出しをクリックして使い分けるのは本当に便利です。

しかしこれは昔からではありません。まだパソコンといえば、16ビットパソコンが全盛だった20世紀終盤、表計算ソフトといえばIBMの互換パソコン上で動くLotus1-2-3(ロータス・ワン・ツー・スリー)か、Appleパソコン上で動くEcxelが主流でしたが、それらのソフトには1枚のシートしかありませんでした。

いったいどのソフトウェアが複数のシートという素晴らしいインターフェースを導入したのか? 

 Wikipedia によると、それはLotus1-2-3ではなく、ExcelでもなくBoeing Calcというソフトウェアだったそうですが、遅くて普及しなかった様です。

Some have claimed that Quattro Pro was the first to use the tabbed notebook metaphor, but another spreadsheet, Boeing Calc, used tabs to multiple sheets, and allowed three-dimensional references before Quattro Pro was on the market. (Boeing Calc was so slow that its multiple sheet capabilities were barely usable.)
Quattro Proがタブ付きノートブックのメタファーを最初に使用したと主張する人もいますが、別のスプレッドシートであるBoeing Calcは、複数のシートにタブを使用し、QuattroProが市場に出る前に3次元参照を許可していました。 (Boeing Calcは非常に遅いため、複数のシート機能はほとんど使用できませんでした。)

Wikipediaより

普及した実用的なソフトしての栄誉は『Quattro Pro(クワトロ・プロ)』というソフトに帰せられるべきと思います。開発したのは「Borlandボーランド)」という会社でした。

今ではこれも当たり前となった、右クリックで関連メニューが立ち上がるインターフェース(「オンデマンド・メニュー」と言っていた様な)もたしかこの製品が走りだったと記憶しています。それまでは、先にメニューを選んでから操作対象を指定していたのです。

以下が起動画面ですがどうですか? 今では当たり前の下にシートのタブのあるインターフェースが当時は画期的でした。

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Wikipeiaによると、日本での最後のリリースは1997年、その後Corel社が製品を引き継いでいるとの事です。

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今はもうすっかり忘れ去られたソフトウェアかもしれませんが、エポックメーキングとなる画期的なこの製品に敬意を払いたくて、この記事を投稿してみました。

キラ星のごとき、珠玉のソフトウェアを次々と世に送り出していたボーランド社


ちょっと開発元についても触れさせてください。

開発元のボーランド社は当時ほれぼれする様なソフトウェアを多数だしていました。この会社はフィリップ・カーンというフランスから渡米した若い経営者が立ちあげたのですが、「マイクロソフト何するものぞ!」とばかり、小粒でもピリリと辛い山椒の実の様なソフトを次々と開発しており、そうした時期にこのQuattro Proも発売されました。



若き日のフィリップ・カーン、太々しいタフガイといったところでしょうか。自身もプログラムに精通していました。

会社が飛躍するもととなった、高速で開発しやすいプログラム言語『Turbo Pascal』(ターボ・パスカル)、総合開発環境を備えたC言語『Turbo C』(ターボ・シー)、廉価なリレーショナル・データベースソフト『Paradox』(パラドックス)、まだWindowsソフトのコンパイラが少なかったとき、いちはやくWindowsインターフェースを備えたプログラムコンパイラ『Delphi』(デルファイ)、どれも素晴らしいと思ったものです。(使いこなせなかったけど)

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BorlandについてWikipediaから引用します。

ボーランド (Borland、Borland International、Inprise Corporation、Borland Software Corporation) は、かつて存在した開発プロセス用ツールなどのソフトウェアの開発・販売会社である。

いまでは会社は吸収されてしまっています。

2009年5月6日、マイクロフォーカス(当時・インプライズ株式会社)による買収の合意が発表され、同社の一部門となった。

Wikipediaからの引用を続けます。Borlandの絶頂期はWindowsソフトの開発ソフト『Delphi』(デルファイ)を発売したころでした。

1995年、ソフトウェア開発ツールで巻き返しを図るボーランドは、Windows時代に対応したRADツール Delphiを発売。アンダース・ヘルスバーグ(Anders Hejlsberg)による洗練された設計は、マイクロソフト製ツールを圧倒した。これに対してマイクロソフトは、開発部門のトップであったポール・グロス(Paul Gross)上級副社長を筆頭に、アンダース・ヘルスバーグなど主要なボーランドの技術者を30ヶ月間に34人引き抜き対抗。「Dead Borlanders Society」と皮肉られる有様だった[1]。怒ったボーランドはマイクロソフトを訴え、長期にわたる法廷闘争が繰り広げられた。

なんとも荒々しいアメリカのビジネスですが、34人もメンバーをマイクロソフトに引き抜かれて、さすがのBorlandもその後は凋落していきます。

あの時の輝きをふと思い出してしまい、記事にした次第です。


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