仮面ライダー555 パラダイス・リゲインド

前回の投稿の最後に予告を引用した一文を書いておいて
また間が空いてしまった理由は、
時間が空いた方がネタバレに配慮しなくて良いのでは?と思ったから…
でもあるが単純に中々やる気が出なかったからである。

最初に今回の20年ぶりの正統続編についての感想だが、
近年過去作品のアニバーサリー物が
必ずしもファンとって良いものばかりではなかった事を踏まえると、
今回の映画はしっかりとファンの方を向いた上で作られた映画だと思えた。
一方でアニメであるSEEDFREEDOMと違って、
実写であるパラダイス・リゲインドは役者の廃業や夭折もあって、
全員集合の同窓会には出来なかった。
故に555のエッセンスを抽出した煮凝りではなく、
観終わった後に「ああ、555だったな」と思わせてくれる仕上がりだった。

時系列としては本編終了後n年後。
何年後と名言はされてないから劇中では4~5年くらいしか経ってないかも。
と半田氏と芳賀氏のインタビューで言ってたけどそこは実写故の厳しさが。
(海堂とかもうすっかり・・・)
現実でもガラケーからスマホに移行するのに10年はかかってると記憶するので、
10~15年は経ってるんじゃないかなぁという気持ちはある。
4~5年程度ではたっくんが失踪してる間の真理の気持ちの溜めが軽いというか。

本編で死んだはずの北崎、草加が出てくる理由等もなるほどと思った。
(北崎社長のポジションはぶっちゃけ北崎じゃなくても良かったんだけど)
ネクストカイザのベルトが旧式のギアとコンパチなのは偽装のためなんだろうな。
そもそも最終回でカイザギア壊れてたし。

話の流れ的に半田氏と芳賀氏が直談判したというのは、
たっくんと真理のあのシーンを役者でやるつもりだったんだろうなと。
結果として謎のガワックスシーンが誕生してしまったわけだが。
しかしよくよく考えると本編でもアークオルフェノクと海老姐さんがヤってるんだよな。
あれは王の力(意味深)を注ぎ込まれて海老姐さんが人の姿を無くす事で寿命を克服してたけど、
つまりはオルフェノクという種族が細胞の寿命という欠陥を克服するには、
オルフェノク同士の交歓が必要だったのでは?
お陰でたっくんも生命線が延びたし。

それはさておき。
今回の目玉であったはずのネクストファイズおよびカイザだが。
尺が足りない事もあって驚くほど全く活躍していない。
サプライズのネクストアクセルもラー油で滑って技が不発するわ、
対ミューズではAI予測で全て避けられるわで散々。
カイザアクセルはTTFCスピンオフ行き。
そんなんでネクストカイザフォン付きの円盤の販促になるのかよ。
少なくとも自分は「欲しいけどクソ高いわ」と思ったぞ。

たっくんと啓太郎の甥承太郎の初対面からの
「つまらないものですが!」「お前分かってんじゃねぇか!」
は最高に熱かったし、
やっぱりたっくんはファイズじゃないとと思ったけど、
ならば空いたネクストファイズで真理が変身した方が最後の締めには良かったんじゃないか。
でも全体としては非常に満足度は高かった。

前回SEEDFREEDOMの感想を書いた時には、
「20年経って作られた続編」同士のシンクロニシティみたいな物が念頭にあったのだが、
時間が経つにつれ「こういうのでいいんだよ」以外の物って無くね?と思い至った。
SEEDはDESTINYで終わり切れなかった話の完結編として準備していたはずの物が、
紆余曲折と20年の時間を経てファンムービーとして結実したものだが、
555はある意味本編だけで綺麗に終わっている。
だって20年前の時点で敏樹御大が「巧はあの後すぐ死ぬ」って言ってたし。
それが後々の客演や執念の913祭を経て正統続編が叶った。
その結果(続きは無いだろうけど)本編後の世界が出来てしまった。

似ているようで実は全然違うのだなと。
(某掲示板で両方とも「やることやっとけ」と評されていたのは吹いた)

さて同じようにリアルに20年経ってから続編が作られた
「トレインスポッティング」という映画があるんだが・・・
あの映画の無常感と尊さについてはいずれ気が向いたら。


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