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【J.J.Rousseauを読む】賢者としてのフィラント

この【J.J.Rousseauを読む】シリーズは、ある大学の仏文科大学院講義の内容をベースにしています。毎週、フランス語版のテキストを講読しており、その内容をまとめています。今年度は『ダランベールへの手紙』です。

該当箇所 
P88, Rousseau à Lettre à d’Alembert, Flammarion, Paris. 2003

1.フィラント論

17世紀フランスの劇作家モリエール Molièreによる『人間嫌い Le Misanthrope, 1666』の主人公アルセストの性格は、対照的なフィラントPhilinteの性格によって、その滑稽さが浮き彫りになる。上流社会の格律に従う「賢者」としてのフィラントは、階級社会の上位に位置する貴族であることにより得られる既得権益を所与のものとして受け入れ、その価値観に立脚した態度に特徴がある。これはルソーが忌避する貴族社会の価値観そのものを体現している存在である。

このような古典喜劇における役割である「賢者 le sage」の対義語は「道化 le fou」といえる。道化は伝統的に王侯に使える存在であり、古典喜劇においては、その構造を支える対立軸の一つである。主な対立関係には、主従関係、親子関係、夫婦関係、そして賢者と道化の関係などがある。

なお、コミック版『風の谷のナウシカ』の、トルメキアのブ王に仕える「道化」も伝統的な古典喜劇の道化といえよう。宮崎駿の古典演劇に関する教養が滲み出ている。


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