ポリコレ理解のためのお勧め本

西側諸国を徘徊するpolitical correctnessについての批判的な入門書としてはこの本がお勧め。

54~55ページに引用されている1993年12月24日付の朝日新聞記事「政治的公正と多文化主義 米国覆う少数派保護」から一部を引用する。

コロンビア大学に隣接する女子の名門バーナード・カレッジのロバート・マッカヒー教授(歴史学)によると、「PCはもとはといえば1980年代前半に大学のキャンパスで起きたリベラル派の運動だ。だから、ダートマス大学など保守的なところは反発が強い」。80年代前半といえば、レーガン大統領時代で保守主義の全盛期だが、ニューヨーク州立大学のデービッド・ディルワース教授(哲学)は、「60年代のヒッピーたちが90年代になって大学の教授や管理者になったことと、ちょうど新たな移民が大学に入ってきた時期が重なっていまの状況を生んでいる」という。
少数派への配慮という点では、60年代の公民権運動とどう違うのか。マッカヒー教授によると、「公民権運動は主に人種的平等の運動であり、PCは性(ジェンダー)が大きな要素を占めている」と説明する。

ポリコレが理性よりも感性、客観よりも主観を重視するのは「60年代のヒッピーたち」のカルチャーと関係している。

彼らは理性の尊重よりも感性の解放を求め、音楽、ドラッグ(LSD、マリファナ)、東洋の神秘主義思想(禅や道教)などによる意識の拡大化と変革を志向した。

「おれは人間をやめるぞ!」という台詞があるが、生物学的・肉体的な性(sex)から解放することは現代リベラリズムの目標の一つで、解放された人々がnonbinaryやtransgenderである。「男をやめて女になる」や「女をやめて性を超越した存在になる」という空想を現実だとする思想である。

一般の日本人には理解困難な概念だが、西側のエリートたちがこのような異様なイデオロギーで社会を革命しようとしていることは知っておいた方がよい。


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