「おっさん差別」の目的は社会の解体

「おっさん差別」の記事について考察する。

おっさん差別が罷り通る根底には、男は大部分の女が好きだが、女は大部分の男が嫌いなことがある。女にとって、男の8~9割は不快な存在なので、おっさん差別は大半の女の心情にマッチするのである。

It was determined that the bottom 80% of men (in terms of attractiveness) are competing for the bottom 22% of women and the top 78% of women are competing for the top 20% of men.

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ある調査では、若い男性の32%が一生に1000人以上の女性とセックスしたいという願望があると答えたが、若い女性ではその割合は8%にすぎなかった。
大学生を対象にした有名な研究では、男子学生の75%がゆきずりの魅力的な喜んでセックスをすると答えたが、見知らぬ魅力的な男性とセックスしてもよいと答えた女子学生はゼロだった。

しかし、おっさん差別の背後には、さらに重大な陰謀が隠されている。この記事の分析に欠けているのは、おっさん差別がアメリカから輸入された"intersectionality"の日本版だということである。Intersectionalityについては下の動画でBen Shapiroが解説している(日本語字付)。

左派・リベラルからは「男性的=有害」というメッセージがメディアを通じて日常的に発信されている。

特に狙われているのが"Straight White Male"で、白人男性の「絶望自殺」の増加という戦果が上がっている。

日本でも働き盛りの年代(prime age)の男を労働市場から排除して「ミッシングワーカー」にする戦果が上がっている。

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左派・リベラルがおっさんを攻撃するのは、おっさんが家族を養うために働くからである。

「おっさん」には、毎日働きせっせとお金を稼いでたくさんの税を納めている人も少なくないだろうし、家族を養うために残業や休日出勤にも耐えてがんばっている「おっさん」もいるだろう。人知れず汗を流す「おっさん」も大勢いるのだが、そうした「おっさん」も「社会悪の発生源」として誹りの連帯責任を負わされている。

人間は直立二足歩行になったことで、子を未熟な状態で産んで長期間育てるように進化した。女は他の動物のように単独で子育てできないので、男が女と子の用心棒兼食料調達係として長期間サポートする男女分業のシステム=核家族が生まれ、それが「人間社会にしか見られない高度な協力体制」の礎となった。

セックス競争のなかで、いかにして協力を実現するか。この難問は、核家族の出現でいともあっさり解決した。核家族というシステムによって、ほぼ全員の男に生殖の機会が与えられたし、それがまた社会全体に貢献しようという励みにもなった。人間社会にしか見られない高度な協力体制は、一夫一婦制が実現の鍵を握っていた。

人間社会にしか見られない高度な社会システムは、妻子のために外で働く男(おっさん)たちによって築かれ、支えられているわけだが、このことは、おっさんが弱体化すれば社会と家族が解体してしまうことを意味している。(おっさんは『銀河鉄道999』の機械帝国のねじのようなものである。)

ポストモダニズムの影響を受けた現代の左派・リベラルの目標は社会と家族の「解体」あるいは「脱構築」なので、おっさんを攻撃しているのである。

「リベラリズム」の前提になっている「近代市民社会」の論理を拒絶する「差異の政治」は、近代的な「主体性」を、権力性を伴った社会的言説の連関によって構成されたものと見なして「解体」あるいは「脱構築」しようとするフーコーやデリダのポストモダン的な哲学と相性が良いように思われる。
ラディカル・フェミニズムは、男性中心の経済を支えてきた近代的な核家族制度と正常=規範化された性の在り方を解体し、社会構造全体を変容させることを通して、新たなジェンダー・アイデンティティを産出することを目指す。

おっさん叩きの背後には、本気で社会構造全体の変容=革命を目指す左派・リベラルがいることを見逃してはならない。彼らの狙いは、理想社会(ユートピア/シャンバラ)建設の前段階として現在の社会を解体することで、その手法はネオリベラルが自分たちの利益最大化という理想を実現するために「抵抗勢力」を国民に叩かせたものと同じである。「ただしさ」に飢えている大勢の人は、日本シャンバラ化を目論むリベラルに踊らされて墓穴を掘っているのである。

上の動画も日本語字幕付き。日本では、東京大学の入学式で祝辞を読んで話題になった人物をイメージすればよい。彼らの本音は「理想社会に不要な人間は死ね」である。

宮台 だから、上野さんにお聞きしたいのは、ぼくの「性的弱者論」を批判されてますけれど、実際に現在のような教育システムで育ってくるコミュニケーション・スキルの乏しい男の子たちはどうやって性的欲求を満たし、性的コミュニケーションを確保すればいいんでしょうか。彼らには上野さんがおっしゃるような、学習の余地がほとんどないと思うんです。
上野 自然史的・人類史的に言えば、マスターベーションしながら死んでいただければいいと思います。冷たいでしょうか。そのための産業もちゃんとありますし。だから、できるだけ、他人に迷惑かけない仕方で、性欲を充足していただいたらいい。

これは三流フェミニズム小説だが、フェミニストの本音が「男の9割を抹殺」というポル・ポト的なものであることを自白している。

実際、男性は何人ぐらい必要なのか。考えてもみよう。男は危険だ。犯罪の大半は男が起こしている。男は知的に劣り、勤勉でもなくまじめでもない。男は筋肉とペニスでものを考える。男のほうが病気にかかりやすく、国の資源を食いつぶしている。子供を作るために男が必要なのは言うまでもないが、そのために何人ぐらい必要だろうか。女ほどの数は必要ない。善良で清潔で従順な男なら、もちろんつねに居場所はあるだろう。しかしそれは何人ぐらいなのだろうか。たぶん十人にひとりぐらいではないか。
八木 彼らは壊すことしか考えていない。あるいは壊すことを「進歩」とすら考えているんです。一部の人はもはや不可能となった政治革命はあきらめて、家庭・家族という場を革命の実践の場にしたいと考えている。「革命」をいうのであれば、その後の体制をも当然のことながら考慮しておくべきなのに何も考えていない。単なる破壊主義者です。
宮崎 非常に単純な民衆性善説か、あるいはマルクス主義的な理性的主体性の確立みたいなモデルが背景に控えている。たとえば福島瑞穂らの運動を理論面でサポートしている民法学者の二宮周平なんか完全な後者です。彼の本にはエンゲルスの『家族・私有財産および国家の起源』が引かれていたり推奨されていたりする。家族関係をぶっ壊し、人間を個に解放することが、すなわち私有財産制廃棄の道程である! 二宮氏は間違いなくそう考えている。

補足

社会を解体するもう一つの有効な手段が異民族を大量に移民させることである。リベラルが移民・多文化共生を推進する真の狙いはそこにある。

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