治山治水対策事業費~国を治める意思が無い

「水を治める者は国を治める」と言われるので、国と地方の治水関係費の推移を確認する。

経費別分類の治山治水対策事業費

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目的別分類の国土保全費

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地方の河川海岸費

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対GDP比

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国土交通省の建設工事費デフレーター(治水総合)で実質化

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実質値は高度成長期末期の水準、対GDP比は民主党政権期を除くと1955年度以降で最低の水準にまで減らされている。

最近では災害が起こると民主党政権の削減が批判されるが、当時は多くの国民が「コンクリートから人へ」や事業仕分けを支持したことを棚に上げてはいけない。

この削減・抑制の源流は、1981年からの鈴木内閣と第二次臨時行政調査会(土光臨調)の「増税なき財政再建」路線(ゼロ・シーリング)にある。土光敏夫は1982年1月に日本経済新聞に連載された「私の履歴書」でこのように述べていたが、1990年代以降の「改革」はこの精神を継承している(59年度は1984年度のこと)。

このまま、手をこまぬいていたなら国債発行残高が100兆円を超すのは時間の問題で、日本は59年度までに破産してしまう。
私「まさにそうです。しかし、心配はいらんでしょう。今の行革を進めていけば悪くなることがないんですから。だいたい、国全体のムダがなくなり、能率がよくなります。だれも一部の者が搾取をしようというんじゃない。税金だって将来、減税になるんです」

なお、公債残高は1983年度末には100兆円を超え、現在では900兆円に迫っているが、日本政府も日本国も破産していない。

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治山治水対策事業費はバブル崩壊後の景気対策で倍増するが、その後は1997年の金融危機、2008年のリーマンショック(世界大不況)での一時的反発を除くと、一貫して1980年代よりも少ない水準を目指している。「治水はムダ→国家破産を回避するために削減」ということなのだろう。

「国を治める」方針において決定的だったのが、1997年の橋本政権と2001年の小泉政権による「構造改革」で、建設業就業者は1997年から2018年にかけて約180万人(-27%)、労働力人口に占める割合は2.7%ポイント減少している。

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公共事業費を大幅に削減する→建設業の労働者が減る→建設・土木の供給力が縮小する→公共事業の拡大が困難になる、というヒステリシスを狙ったもので、日本の政財界に日本全土を治める意思が失われたことを意味している。

土光の「私の履歴書」でのこの予測が的中したと思う人はほとんどいないだろう。健康のために粗食を続けているつもりが、栄養失調→衰弱死に向かって前進、前進、ただ前進しているのが今の日本である。

私「しかし、これからが本番だね。第1次答申でとにかく、突破口だけは開けたから、あとは、これをどんどん広げていくことだ。前進、前進、ただ前進あるのみ。日本の将来は豊かな文化国家、どの国にも負けない福祉国家になります」
しばらくは、「個人は質素」にしてもらわねばなるまい。その代わり、その先には、「豊かな社会」が確実に待っている。

これ(⇩)が示すように、成功した財界人の発想を国政に反映させることは災いである。彼らには「儲からない=ムダ」と判断する思考回路が出来上がっているので、儲からなくても必要なものがあることを理解できない。

国民はいつになったら「社会資本整備は無駄→浮いたリソースを観光立国につぎ込むことが成長戦略」という狂気から覚めるのだろうか(覚めない可能性も高そうだが)。

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