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弥助問題は知的財産権の問題

またまた弥助問題について。

研究する対象、この場合は弥助と、冷静な距離感を保っているとは言い難いと感じました」

思い入れが強くなりすぎ、研究対象と一体化して、『全てを肯定していこう』という感じになってしまうと、歴史学の研究にはならなくなってしまいます。この著書を読むと、その距離感を取れていないという印象を持ちました」

👇は英語版の本編の最後だが、「冷静な距離感を保っているとは言い難い」ことが伝わってくるだろう。

Yasuke: The True Story of the Legendary African Samurai』p.402

この👇見解には同意。

日本に関する間違った歴史認識が国際的に広がり、それを是正するなら、国家主導にならざるを得ない。政府が歴史学者の協力を得て行う必要があると思います。こう述べると『国家の対外プロパガンダに加担しろと言うのか』という反発があるでしょうが、歴史的事実を正確に伝えるのであれば、変な遠慮は不要ではないでしょうか」

国家主導にならざるを得ないのは、文化・歴史は民族共有の知的財産なので、その権利侵害に対処する主体は民族共同体の権利主体である国家が最適任だからである。

しかし、多くの国でそうであるように、オーストラリアでは伝統的文化表現や知識の法的保護に大きな隔たりがあります。オーストラリアの著作権法は現在、個々の先住民族アーティストの作品のみの保護に対応しており、共同所有または先住民族グループの遺産の一部である先住民族の文化的財産および知的財産の誤用、歪曲、または改変を具体的に防止する法律はありません。

https://www.wipo.int/wipo_magazine/ja/2020/04/article_0006.html

弥助問題でロックリーやUbisoftを批判する日本人を批判する面々は「創作なのだから問題にする方がおかしい/表現の自由の侵害だ」などと言っているが、これは問題の本質から外れている。その言い分が通るのは、史実のオリジナリティを尊重した上でのフェアユース、二次創作の場合だが、ロックリーやUbisoftは史実を勝手に改変した創作物をオリジナルだと主張しているので知的財産権の侵害、文化盗用(cultural appropriation)という犯罪的行為になるわけである。

この問題を軽視してはならないのは、歴史が政治的主張・要求の正当性の根拠とされるからで、オリジナリティを奪われてしまうと、将来に理不尽な「権利申し立て」をされても拒絶できなくなることも起こり得る。「従軍慰安婦」という悪しき前例もあるのだから、甘く見るべきではない。

👇は当noteの見立てと同じだが、

「また、侍だったとしても『形の上では』ということもあります。

👇には異論がある。いくら大柄で力持ちだからといって、能力主義の信長が完璧な意思疎通が難しい弥助を他の適任者を差し置いて「シークレットサービス」に抜擢するとは考えにくいのではないか。

イエズス会の史料には弥助は力持ちで、少し芸ができるというようなことが書いてあります。信長のボディーガード兼芸人というのが実態だったのではないかと思います」

付録

Yasuke: The True Story of the Legendary African Samurai』p.6-7
  • 徳川の位置がおかしい

  • 尾張が三河の位置になっている

  • 島津が薩摩になっている

  • 安土、京都、長崎、口之津(ヴァリニャーノの上陸地)の他に鳥取が記載されている(⇐鳥取トム)

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