1997年の景気後退

「1997年4月の消費税率引き上げ(3%→5%)によって日本経済はデフレと長期停滞に陥った」というのが反緊縮派が描くストーリーだがそうではない。

麻生財務相は、97年は4月の増税で「4-6月の消費は反動減となったものの、7-9月には回復した」と指摘し、景気後退の要因は、同年後半のアジア通貨危機や山一証券破綻などの金融システム不安だったとの見方を示した。

『国債膨張の戦後史』の第45話「金融再生期の国債」から引用する。

平成9年11月からの未曾有の景気後退の原因については、これを同年4月からの消費税引上げを中心とする、いわゆるフィスカル・ドラッグ(一応1年あまりの期間にわたり9.5兆円と推測)が元凶だとする説と、これを否定する説とが拮抗している。筆者はこの間、日本銀行の調査研究担当理事として当時の経済を克明に追跡していた結果から、吉富勝氏などと同様これを否定する。詳しくは日本銀行の金融政策決定会合議事録などに譲るが、消費税引上げの影響は同年4、5月の駆込消費の反動落ちとして一時的に顕著に現れたが、夏場にかけて緩やかながらも回復、秋口にはおおむね駆込み前の水準に戻っていた。それが11月の金融破綻ショックで各種消費マインド指標が劇的に悪化、平均消費性向が11月から2月にかけて3%ポイントも低下した。1ポイント3.5兆円だから、たった3か月でGDPベース10.5兆円もの初発ショックである。これが前述のようなマイナスの循環を生んだことは、当時の各種指標から明らかである。

消費水準指数のグラフの赤マーカーは1997年4月と11月だが、上の説明の通りで、転換点が4月ではなく11月であることが見て取れる。

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日銀短観の判断DIでも、1997年12月調査から急激な悪化が生じていたことが見て取れる。

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1997年には4月の消費税率引き上げ、7月からのアジア通貨危機、11月の日本の金融危機(三洋証券・北海道拓殖銀行・山一證券が立て続けに経営破綻→信用収縮)と大きな出来事が相次いだので、年単位の比較ではそのうちのどれが決定的要因だったのかは分からない。当時の事情を知らずに決め付けることは禁物である。

反緊縮派は「財政赤字を無視して財政支出を拡大させれば、1997年以前のような成長軌道に戻れる」という楽観的なストーリーを描いているようだが、日本経済には

◆人口減少(→国内投資抑制)
◆大企業の経営のグローバル化(→日本離れ)
◆株主至上主義の定着(→人件費抑制)

といった構造変化が生じているので、そうは問屋が卸さない。日本再興に財政支出拡大は必要だが十分ではない。

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