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元民主党国会議員の人格批判に答える

当noteからアイデアを盗用して書籍を出版したシェイブテイル&朴と親しいらしい元民主党国会議員から「不誠実です」と人格批判をされていたので、遅くなったが回答する。

結論を先に書くと、中村元議員の理解力と通貨制度に関する知識の不足による言い掛かりである。

こちらが当該記事。

それに対する中村哲治となかまたちの批判。

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こちら(⇩)は朴のブログでの反論。

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「国債を個人向け国債に限定されています」との批判だが、限定などしていない。中村が誤解したのは図に「人々」とあるからだと思われるが、これは朴の動画の表現(⇩)に従ったまでである。本文には「人々(民間非銀行部門)」と、個人ではなく、銀行以外の金融機関を含む民間非銀行部門の意味であることを明示している。中村は読んでいないか、読んでも理解できなかったらしい。

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特殊な前提条件」をつけているのは中村たちである。中村、シェイブテイル、朴は「国債の大半は金融機関が消化している→非金融部門は例外として無視できる」とした上で、金融機関を預金取扱機関(以下、銀行と表現)に読み替えて、国債発行による財政支出が同額の銀行預金を増加させるとしている。

こうした様々な主体の中で決済性預金口座というものを提供している銀行だけが、その与信行動により、自ら貸出と預金を同時に創り出すことができるわけであります。
これを信用創造と言っておるわけでありますけれども、この点で銀行はノンバンクなど他の金融機関とは異なる機能を持っているというふうに理解しております。
国債発行による財政支出が預金通貨の創造につながるかどうかは、国債の最終的な消化形態によっても変わってくるわけでありまして、国債が個人や投資家に、最終投資家に消化されれば、それは預金の創造にはつながらないわけでありますけれども、銀行が保有している分について申し上げますと、それは信用創造を通じて預金が増加するという格好になります。

しかし、これは現実からかけ離れている。国債購入が預金の創造につながらないという点では銀行以外の金融機関は個人や一般企業と同じであり、非銀行部門全体では国債の約半分を保有しているのだから、例外的として無視できない。

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当該記事で非銀行部門による国債消化を取り上げたのは、国債発行&財政支出それ自体は預金の創造にはつながらないことを明確にするためである。

シェイブテイルが剽窃した図示法で改めて確認する。✚の左右は資産と負債、上下は増加と減少を表す。

A銀行に預金口座がある債券投資家(非銀行)が銀行預金で新発国債を買うとする。仲介するA銀行は同額の中銀預金を政府に送金する。

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次に、政府が調達した資金で民間業者から物品を購入する。政府は代金としてB銀行に中銀預金を送金し、民間業者の預金口座には見合いの預金が表れる。この預金が①の債券投資家の預金が移転したものであることは明らかである。

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①の国債発行と②の財政支出をまとめると③になる。預金は保有者が変わっただけで創造されていない。銀行部門は仲介しただけなので変化はない。

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中村とやり取りしている人物が「民間部門が持っている資金はどこから調達したんだ?」と論破したつもりのようだが、それ以前に民間銀行が貸出や資産購入によって信用創造(money creation)していた預金に決まっている。

中村が現行の通貨制度の仕組みを根本的に誤認していることは「民間部門(民間銀行・民間企業・民間人)が得ているお金の大元は日本銀行と日本国政府である」からも明らかである。

日本が採用している世界標準の通貨制度では、中央銀行は原則として非銀行部門(政府を含む)には直接的に信用供与しない。従って、民間非銀行部門が得ているお金の大元(発行元)は民間銀行である。民間非銀行部門が日本銀行と日本国政府が発行するお金(sovereign money)を得るには民間銀行の預金と交換する必要があるので、その前に預金(private money)を保有していなければならない。

中村はオンラインサロン「お金のしくみ」塾を主催しているようだが、現行制度がこの(⇩)ような仕組みになっていることを根本的に理解していないようである。

今日では、マネーの創造と管理はほぼ全面的に民間の銀行に任されているが、ソブリンマネーは「最終的な決済資産」であり続けている。マネーのピラミッドの下から二番目の層にいる銀行が銀行間の支払いや国への支払いをするときに、決済の手段として確実に受け入れられるのは当座預金だけである。
同じように、キャッシュは国に対する信用の表象として揺るぎない地位を保っているが、流通しているマネーの圧倒的多数は、民間銀行の口座にある預金だ。1694年に政治の妥協が成立して、ソブリンマネーとプライベートマネーが融合されたことが、いまも現代のマネー世界を支える基盤になっている。

中村の「実際は発生している預金が国債の購入で消えた形になっている」は意味不明だが、「不誠実」などと人格批判される筋合いはない。

中村は「不誠実です」と人格批判、シェイブテイルは「阿◯なの?」と愚弄、朴は盗用の件について自分では答えずに他人のツイートをリツイートするだけと、類は友を呼ぶらしい。

後日の記事では、中村が強調する「信用創造の第2の経路」が存在しないことを取り上げる。

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これも結論を先に書いておくと、国債の全額が銀行によって消化されるという「特殊な前提条件」をつけたことによる錯覚である。第1の経路の「銀行がが社債を買う与信行動」の企業が国、社債が国債に置き換わっただけのこと。

補足

民間部門(民間銀行・民間企業・民間人)が得ているお金の大元は日本銀行と日本国政府である」という大間違いは、中央銀行が政府の財政部門の一部が分離独立したものという誤解に起因しているように思われる。

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そうではなく、複数の民間銀行が銀行間決済を行う際に、ネットワークの中心になった最有力の銀行が中央銀行の起源で、その銀行が発行する銀行券や預金が「最終的な決済資産」として用いられるようになった。その後、一般向けの貸出業務から撤退して銀行間決済の中心の役割に特化するようになり、今日の中央銀行へと進化した。

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