MMTとフェミニズム

この二つに共通するのは、現実とは異なることを公理として構築された理論体系だということである。

フェミニズムは「人間の首から上に生得的な性差は存在しない」「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という荒唐無稽なものであり、MMTも「中央政府はマネーの唯一の発行者」という現行制度とは異なることを正しいとしている。

現実との不一致への対応は三通りで、一つは天動説が周転円を導入したような辻褄合わせである。MMTでは形式的にも実質的にも存在しない「統合政府」を導入することで「政府はマネーの唯一の発行者」というフィクションを真実のように見せかけている。

二つ目は「不都合な真実」を無視することである。現実の通貨制度では、中央銀行は国債、政府保証債、MBS、社債、CP、株式ETF、REIT、外貨、金など様々な資産を裏付けとしてマネー(銀行券と当座預金)を発行しているが、MMTは国債売買だけを取り上げることで「国債発行はマネーの供給と同じこと」というフィクションが現実であるかのように装う。

古市 上野さんはずっと敵がいたわけですか。
上野 そう。だから戦略的には動きますよ。私は経験科学の研究者だから嘘はつかないけど、本当のことを言わないこともある。
古市 つまり、データを出さないこともある?
上野 もちろんです。
古市 それはいいんですか?
上野 当たり前よ。それはパフォーマンスレベルの話だから。
上野 そう。その話を小熊英二さんに話したら、「社会運動家としては正しい選択です」と言ってくれました。

三つめは批判者に「わかっていない」「もっと勉強しろ」と批判し返すことである。特に「公理」を信じ込ませることがポイントである。

これらの手法が昔のマルクス主義者に似ていると思った人もいるかもしれないが、それもそのはず、MMTと現代フェミニズムは新左翼→リベラル/プログレッシブの系統の革命思想だからである。指導的理論家がやたらと長い(自己陶酔したような)文章を書くことも共通している。

動画の1:59~ではKeltonが"We have to change everything"とアジっているが、ホームページにあるロングバージョンに登場する若者たちのノリは1960~70年代の学生運動やカウンターカルチャーを彷彿とさせる。

日本では富国強兵を唱える中野剛志からMMTが広まったために、MMTが新左翼の一派であると認識されていないが、本場の事情は下の動画の22:05~で中野が言及している通りである。若者が左派的な革命思想に引きつけられるのは世の常なのだろう。

「アメリカとかでMMTを支持しているのは実は若者が多い」
「いわゆる社会主義者と言われる人たちがMMTを担いでいるんだけど」
「アメリカの今若い人たちって社会主義って別にそんなに抵抗がないんだって」

日本では、学生運動に乗り遅れた現在では中年の世代にMMTのシンパが多いようだが。

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