プラザ合意よりもクリントン円高
この内容には若干の修正が必要。
この👇ような見方が多いが、プラザ合意は高金利政策によって全面高になっていたUSドルの水準を修正するためのもので、日本円・日本企業を狙い撃ちにしたものではなかった。
日本潰しの円高を仕掛けたのは1993年1月に就任したクリントン大統領とベンツェン財務長官である。
円高が製造業に与えた打撃の大きさは1985年よりも1993年の方がはるかに大きい。「バブル崩壊~円高~金融危機」と「ICT革命・韓台中の台頭」が日本の製造業の競争力を低下させた。
また、「円高→対外直接投資(FDI)増加」というわけでもない。プラザ合意後のバブル期にFDIが増えたのは、もちろん円高も一因だが、日本企業が世界制覇の勢いで楽観的・積極的になったことが大きい。そのため、バブル崩壊後の円高局面にはFDIは活発化しなかった。
2000年代に入るとむしろ円安期にFDIが増える傾向にあるが、これは日本の生産地・需要地としての地盤沈下が進んだ(ジャパン・パッシング)ことと、FDIが円安要因となっていることを意味している。
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