不公平税制に憤る学者もフェミの味方

この本の原題の"The Triumph of Injustice"は「資本への課税はますます減り、労働への課税はますます増える」ことを指している。税制が富裕層有利になって背景にグローバルな資本移動があることの分析と、格差を縮小するための税制改正の提言には説得力がある。

しかし、不公平に憤る優秀な学者でも、女のことになると思考がバランスを失うようである。

育児には法外な費用がかかる。託児所の年間費用が幼児一人あたり二万ドルに及ぶケースもざらにある。そのため多くの家庭では、親が育児をすることになる。親といっても、この仕事を主に引き受けるのは母親のほうだ。これは事実上、政府支出の不足分を補うため、女性の時間に重税を課しているに等しい(時間は、もっとも古くからある課税対象である)。この課税は、女性のキャリアに深刻な影響を及ぼし、男女の格差を広げる。実際、アメリカの母親の収入は第一子の出産後、父親に比べて平均31パーセント減少する。その結果、女性のほうが男性より教育水準が高く、大学を卒業する割合も高いというのに、収入面での大きな男女差がいまだ解消されていない。せっかく高等教育を受けたのに、子どもに早期教育を提供できないという理由でキャリアのいちばん大切な時期を棒に振らなければならないとは、効率という観点だけから見てもばかげている。

「育児時間への課税」は収入の多寡にかかわらず平等なので、格差の縮小につながっている。そのため、政府支出を増やして不足分を補うことは、高収入のパワーエリートの女を利する格差拡大策になる。本格的にキャリアを追求したい女にとっては、育児期間中の年間2万ドル程度は安いもののはずなので、自己負担に任せても問題ない。育児を代行するのは主に女なので、高い託児費用を支払わせることが女同士の平等につながる。

著者は育児に関しては北欧型を支持しているようだが、その北欧諸国では劇的な格差拡大が生じていることも見逃せない。

著者は「収入面での大きな男女差がいまだ解消されていない」ことを問題視しているが、それはキャリア追求よりも育児を優先したい女が多いためであることを理解していない。哺乳類の育児は母親が主なので、人間でも母親が育児の主担当になろうとするのは自然なことである。著者は育児時間を「課税」としか認識していないようだが、その時間が大変であると同時にかけがえのない価値ある時間と感じる母親は少なくない(もちろん父親も)。大学卒の女でも皆が皆ボーヴォワールのような異常な精神ではない。

私は幸運でした。私は出産や家事の義務など女性を隷属させるいろんなものをまぬがれていましたから。
子どもから解放されないと女性は解放されない
個人的な面では、一番大事なことは働くことです。そしてできれば結婚を拒否すること。

著者の価値基準は「カネを稼ぐ効率」のようだが、それでは著者が批判する富裕層と同じ穴の狢である。

「育児より金稼ぎ」の思想の蔓延が少子化の根本原因であることも指摘しておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?