全体的傾向と自分個人との関係

カッパの話とも関係すると思われるのだが、性集団の全体的傾向と自分個人の関係について、男と女では捉え方に違いがあるのではないだろうか。

2005年にサマーズがハーバード大学総長を辞任する羽目になったのは、物理学などのトップ研究者に女が少ない理由の一つに「男は女よりも分散が大きい(→極端な低知能者と極端な高知能者は男が多くなる)」ことがあるのでは、と発言したためである。

これを男が聞いても特段の感情的反応は引き起こされない(と思われる)が、女の学者は呼吸困難になるほどの激烈なショックを受けたという。

"I felt I was going to be sick," said Nancy Hopkins, a biology professor at the Massachusetts Institute of Technology, who listened to part of Summers's speech Friday at a session on the progress of women in academia organized by the National Bureau of Economic Research in Cambridge, Mass. She walked out in what she described as a physical sense of disgust.
"My heart was pounding and my breath was shallow," she said. "I was extremely upset."

https://www.washingtonpost.com/archive/politics/2005/01/19/harvard-chiefs-comments-on-women-assailed/3ee71137-847a-4e7b-9c43-887dfa4211be/

この発言には政治的意図も混じっているとは思われるが、それだけではなく、「女は超一流の研究者にはなれない→お前は二流だ」と言われたように感じたからではないだろうか。

つまり、女は男に比べて「自分は自分、人は人」という観念が薄く、性集団の全体的傾向と同一化しやすい、経済学用語を借りると自分が「代表的個人」であると思いやすいということで、アイデンティティ・ポリティクスと親和的であるとも言える。経済的・社会的地位に恵まれた女が「自分は弱者(→もっと優遇せよ)」とナチュラルに言えるのも、この持って生まれた性質のためではないだろうか。

余談だが、サマーズは女がトップ層に少ないその他の理由として、

  • 女は長時間労働したがらない

  • 女は子供との時間を確保したがる

という、ゴールディンの"Career and Family"と同じことも挙げていた。

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