『ウォール街』と構造改革

ウォルト・ディズニーの兄の孫がアメリカ企業の株主至上主義(shareholder primacy)を批判している。

「ビジネスの社会的責任はその利益を増やすこと」と唱えたフリードマンの影響で、1970〜80年代にかけてアメリカ経済界は、「利害関係者から株主へと優位性が移行してしまった」。

この記事の基になったNPRのインタビューでは、1987年にニューヨークの映画館で『ウォール街』を観た時のことを語っている。

What's stunning is how quickly - because consider it's only 1987. So only 17 years after that article that you have Gordon Gekko saying greed is good, right? And that's the basis - that's the moral underpinning of the argument, that shareholder primacy, everybody benefits if every business runs as efficiently as possible and makes as much money as possible. And you've got Gordon Gekko saying greed is good and the audience is cheering. I was in New York. I watched it in the theater. And the audience was cheering as though he was the good guy when he was the villain of the piece.

映画の中の個人株主や観客がマイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーの"Greed is good"に喝采したのは、当時のアメリカには官僚主義・大企業病が蔓延しており、競争力低下と経済の混迷を招いているという認識が広がっていたためである。ゲッコーは自分は破壊者ではなく解放者だと述べているが、無能にもかかわらず高報酬を懐に入れる経営陣(既得権益層)を一掃することがアメリカ企業の再生につながるというメッセージが、一般大衆の目には自分たちの味方の「改革派」のように映ったわけである。

「ゲッコーは無能なトップを放逐して閉塞を打破する改革者」「Greedは民間活力の源」というイメージをそのまま使ったのがバブル崩壊後の日本の構造改革である。ゲッコーが批判したのは大企業の経営陣だが、日本では日本的経営の否定にとどまらず、日本型経済システム、更には「旧い自民党」を中心に結び付いた政官財学の「体制」そのものの破壊と乗っ取りへと拡大した(ゲッコーは乗っ取り屋)。日本が再び繁栄するためには既得権益層の駆逐が必要という論理である。

「体制」を支えていた土建、銀行・証券、霞が関の弱体化には、汚職・スキャンダル、経営ミスに付け込んで国民を煽る手口が効果的だった。難攻不落だったのが電力だが、東日本大震災(→原発事故)という「天佑」によって一気呵成に「改革」が進展した。

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「企業は、株主にどれだけ報いるかだ。雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」
「それはあなた、国賊だ。我々はそんな気持ちで経営をやってきたんじゃない」
94年2月25日、千葉県浦安市舞浜の高級ホテル「ヒルトン東京ベイ」。大手企業のトップら14人が新しい日本型経営を提案するため、泊まり込みで激しい議論を繰り広げた。論争の中心になったのが「雇用重視」を掲げる新日本製鉄社長の今井敬と、「株主重視」への転換を唱えるオリックス社長の宮内義彦だった。経済界で「今井・宮内論争」と言われる。

ゲッコー→小泉純一郎(となかまたち)
ゲッコーに批判される経営陣→抵抗勢力(既得権益層)
ゲッコーに喝采した観客→一般国民

が『ウォール街』を現実化した小泉劇場だったことになる。現在、貧しさをエンジョイする人の中には、KT改革の支持者も少なくないだろう。

私が、若い人に1つだけ言いたいのは、「みなさんには貧しくなる自由がある」ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな」と。

『ウォール街』と言えば、2013年9月25日に安倍首相(当時)がニューヨーク証券取引所で行ったスピーチにも登場する。日本をウォール街の投資家が儲けられる国にすることが安倍首相の目標だった。

世界経済を動かす「ウォール街」。この名前を聞くと、マイケル・ダグラス演じるゴードン・ゲッコーを思い出します。
今日は、皆さんに、「日本がもう一度儲かる国になる」、23年の時を経てゴードンが金融界にカムバックしたように、「Japan is back」だということをお話しするためにやってきました。
日本で海外の選手が活躍し、米国で日本の選手が活躍する。もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。

それにしてもnaïveな国民性である。

付録①

経営陣→農場主、ゲッコー→🐷、個人株主・大衆→その他の動物とすれば『動物農場』と同じ構図になる。1970年のフリードマン・ドクトリンは『共産党宣言』と同様の革命を煽動するものだったと言える。

付録②

日本企業が株主至上主義でないことを激烈に批判していたのが小室直樹で、その弟子が自称「広義のリベラリスト」の宮台真司。宮台は外国資本を未開の日本を文明化(=リベラル化)してくれる「解放者」と捉え、外資による日本社会の「解体、再組織」(乗っ取り屋によるリストラクチャリング)を熱望していた。これがリベラルの本音で、リベラルのネオリベラル批判は近親憎悪に過ぎない。

日本のさまさまな産業が外資系によってのっとられていくことも、過渡的には必要だとさえ思っています。不合理な雇用環境、性別役割分業、さまざまな問題を抱えた家族制度、そうしたものが解体、再組織されるためには、どうしても外国資本が入ってくる必要があります。
上場株式市場における投資の実に半分を外人投資家に依存している今日、未開文明に見える非市民社会的原則が残っていては、彼らの投資を呼び込むことができない。彼らがお金を出してくれないと、日本経済の基幹をなす製造業でさえ動かなくなります。
僕は試行錯誤と淘汰のために、日本がいったんは奈落の底に突っ込んでいくべきだろうとさえ、思っています。

淘汰されて奈落の底に突っ込む≒貧しさをエンジョイする

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