杉田議員は不敬罪

杉田議員関連で新たな展開があったので取り上げる。

杉田水脈議員が、性暴力被害者への支援をめぐり「女性はいくらでもウソをつける」と発言した問題。自民党が13万筆の抗議署名の受け取りを拒否した。
杉田議員は自民党本部で開かれた党内の会議で、性暴力被害者のための「ワンストップ支援センター」について、事業を民間委託ではなく警察が積極的に関与するよう主張。「女性はいくらでもウソをつけますから」と被害の虚偽申告があるかのように発言した。

「被害の虚偽申告があるかのように発言した」ことが問題ということは、生田・中村の両記者は「虚偽申告は存在しない→性暴力被害を訴える女の証言内容はすべて真実→事実認定にその他の証拠は不要」と主張していることになる。フェミニストには近代法の原則も通用しないことを示す一例である。

「女は嘘をつくが男はつかない」と解釈した上で「女を嘘つき扱いする性差別」だとする批判にも無理がある。性犯罪の大半は女が被害者、男が加害者の組み合わせでその逆はほぼ皆無なので、自称被害者のうち虚偽申告をしている者の100%近くが女になる。故に、性暴力被害についていくらでも嘘をつく者が女である前提で話しても性差別にはならない。「性暴力の自称被害者はすべて嘘つき」と言っているわけではないことも自明である。

ハフポストはこの記事(⇩)との整合性はどう取るつもりだろうか。

被害者とされる少女が、「当初の犯行時間帯に他の男性と会っていて、それを親に隠すためにウソをついた」こと。「携帯電話記録や会っていた男性の証言によってウソがバレると、犯行日は実は一週間前だと証言を変えたこと」「それを受けて、なんと裁判所が訴因変更をし、犯行日を変更したこと」などは現実の「御殿場事件」と同じである。

(フェミニストに論理的整合性を求めても無駄だが。)

結局のところ、杉田議員は「女(の被害者)を冒涜する発言は許されない」という「不敬罪」で辞職を要求されているのだろう。女の言葉は神の言葉である。

杉田議員が以前に激しく批判された件でも、同性カップルの人口再生産率がゼロの意味であることが明白な「『生産性』がない」を、経済的な付加価値や人間としての価値の意味に誤読した上で、杉田議員が「LGBTには存在価値がない」と、植松聖被告と同様の主張をしているかなような歪曲報道が相次いだ。

杉田議員は過去にも、LGBTについて「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」などと述べたり

杉田議員はこのようなこと(⇩)は書いていない。捏造である。

また自民党の杉田水脈という政治家が、LGBTは子どもを産めないから生産性がない、税金なんてつかうな、この社会から切りすてろみたいなことをいっていたからだ。
子どもを産むのがあたりまえ? この社会の道徳に照らして、役にたたないとみなされた人たちを排除する。植松とおなじだ。てゆうか、こういうことをいう政治家がたくさんいるから、植松みたいのがでてくるのだとおもう。

アメリカに比べればまだましではあるが、左派・リベラルメディアの偏向・捏造報道は際限がない。

補足①

杉田議員への批判が論理性を欠いているにもかかわらず、多数の(おそらく女の)署名が集まったことは、Simon Baron-Cohenの「男脳はsystemizing(≒論理性)、女脳はempathizing(≒共感性)の傾向がある」という仮説の正しさを裏付けているようである。

共感が極端化すると、他者に向けられた視線やメッセージを自分に向けられたもののように感じてしまう。そのため、露出度が高い女の広告を見ただけで「私が性的消費された」ように感じたり、性暴力被害の虚偽申告をする女がいると聞くだけで「自分が嘘つき呼ばわりされた」と感じてしまうのではないだろうか。

ちなみに、この仮説によると、自閉症スペクトラムが極端な男脳である。

補足②

念の為に追記。

この記事の主旨は「杉田議員批判は筋が通っていない」というもので、杉田議員の主義主張全般を支持するものではない。森永卓郎の「毎年70兆円(2020年価格)の国債を全額日本銀行の買い取りで発行→全国民に定額給付」の案を小林慶一郎が財政的に持続不能と批判した件について小林を支持することが、小林の財政破綻論を支持するものではないことと同じである。

最近、個々の論点に関する支持・不支持を、その人物(の意見全体)に関する支持・不支持と区別できない論者が多すぎる。

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