ナイキCMは新左翼のプロパガンダ

ナイキのCMは共産主義のプロパガンダ映像のような異常なものになっている。

グローバル企業が公然と、日本がracism(前回のCM)とsexism(今回)に満ちた差別大国だと全世界に向けて発信していることの重大性を認識しなければならない。対日十字軍の呼びかけである。

2人は喜びの表情を浮かべるものの、すぐさま顔が曇りだす。そして、2人は様々な場面を想像する。

日本では「子供は女の子の方がよい」が多数派になって久しい。

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出生の性比からも、日本には一部の国にあるような男児選好が存在しないことは明らか。

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そこでは、ケーキに飾り付けられたフィギュアが「日本の男女には、43.7%の所得格差があるんだって」と突然喋り出し、友人が「本当だよね、女の子って大変だよね」と投げかける。

「43.7%の所得格差」の出所は世界経済フォーラムのGlobal Gender Gap Report 2021👇だと思われるが、

[T]he average Japanese woman’s income is 43.7% lower than the average Japanese man’s income.

これが意味するところは、日本の女は男の56.3%しか稼がなくても生活できる、つまりは稼得労働に関しては男よりも楽だと言うことである。少なくても無問題なのは、男(主に夫)の所得を自分の生活費に充てられるからで、加えて公的支援も男よりも充実している。経済的理由で自殺する人や浮浪者は男が圧倒的に多いことが、大変なのは女ではなく男であることを示している。

このCMのメッセージが危険なのは、男女の生物学的な差異を無視して、女には圧倒的な不利な分野への挑戦へと誘導していることである。

母親はそれを聞いて、「いい加減にしてよ、女の子だってなんでもできるんだから」と怒り出す。

CMでは女子選手が男子に混じって大活躍しているが、現実には

サッカー→男子中学生にも勝てない
テニス→セリーナ・ウィリアムズでも男子では700位(マッケンロー)
ラグビー・相撲→大怪我する危険性大

である。この空想(妄想)はスポーツの男女の垣根を取り払うことにつながるが、そうなれば女子スポーツは壊滅する。

西洋のリベラルは文化大革命のような暴走状態にあり、一見すると女のempowermentを鼓舞するようで、その実は多くの女にとっては過酷な社会を作ろうとしている。

男女平等の社会、つまり、男にも同じような機会を与えるかわりに、同じような仕事も課すような社会は、かえって女にとって苛酷な社会のように思われてなりません。与えられた能力を十分に発揮しあうことが平等の真の意味だと思われるからです。

労働者を解放すると謳いながら、現実には国全体を巨大な強制収容所にした共産主義のようなものだが、それもそのはず、現在の西洋リベラルが信奉するCritical Social Justiceのルーツはマルクス主義にあるからである。

この思想は約半世紀前の学生運動・新左翼・ポストモダニズムとして西洋の知識層に浸透しており、YouTubeの英語のコメントにも反映されている。

Stand up to global communists and marxists. Long live Japan!
Not even Japan are safe from the marxist threat.
Feminism destroys civilizations. Japan, you must resist.
Protect your culture from the fake Nike propaganda.
I apologize for this stupid ideology.
こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。
私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。
女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。

西洋リベラルは日本国内の内通者と共謀して、一般国民がよく理解しない間に、この「性別は社会的に構築された女を抑圧する装置なので、それを脱構築(解体)して女を解放する」という思想に基づいて日本社会を改造しようとしている。日本人の大半はこの突飛な思想に免疫が無いため、一旦浸透されるとスペイン人に侵入された中南米のような大惨事になりかねない。彼らがクメール・ルージュのように本気で社会革命を目指していることを甘く見てはならない。

付録

〈身体的な男性優位〉の神話が強固に存在する一方で、男子は女子に負かされる不安に常に戦々恐々としている。彼らは、男子の絶対的な力の優位性というものは幻想でしかないことを実はよく知っているのだ。絶対的な真理であるかのように見える〈身体的な男性優位〉の神話は、常に突き崩されかねない脆いものである。だからこそ、乱取りの練習では「男子>女子」の力関係を脅かさない組み合わせだけが選択されるような規則性が必要とされるのである。
われわれが考えるべきことは、スポーツ実践が神話の維持に利用されているという事実に即して、神話をいかに解体するかということである。
以上のスポーツ哲学やスポーツ倫理学の研究者らが論じる、男女別競技に関する所論をまとめると、将来的、最終的目標は、男女別競技をなくしていく方向が示唆されている。現段階における暫定的措置としての方式も提案されている。
ただし、暫定的措置でもクラウディオ・タンブリーニの意見は異なる。彼は、女子がほぼ対等に競技できるものは直ちに男女別競技を廃止する。また、男女の競技レベルに差異が著しい場合は男女別競技とし、その差が減少すれば男女別を廃止するという提案である。彼は、子どもの頃から性別ではなく男女を統合する方式で競技が行われれば、男女はほぼ同じ競技レベルに到達するだろうと主張する。

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