日本の賃金が上がらない理由

D.アトキンソンに続いて脇田成も賃金が上がらない現象を取り上げているが、認識が古すぎて分析が足りていない。なお、以下では主に大企業について述べる。

画期は1997年だ。この年、不良債権の先送りが限界となって、山一証券や北海道拓殖銀行など金融機関が相次いで破綻し、金融危機が勃発した。
これ以降、日本企業は頼りにならない銀行を見切って、財務基盤強化にまい進した。さながら要塞を固めるように、銀行から借りていた金を返し、人件費を節約し、内部留保(利益剰余金)を大幅に積み増したのである。
企業は成長余力をすべて内部留保という財務基盤強化に費やしており、その結果、日本経済はいわばフル稼働未満であることを示している。

脇田は「銀行は頼りにならない」と学習した企業が成長よりも財務基盤強化を優先する「守りの経営」を今日に至るまで続けているとしているがそうではない。バブル期に蓄積された債務・設備・雇用の「三つの過剰」を解消する後ろ向きの行動(→バランスシート不況)は2002年頃には終わっている。内部留保の増加は、リストラクチャリング完了後に「攻めの経営」に転じた結果である。

脇田が見落としているのは、人件費の節約の一方で利益と株主還元が著しく増大したことの意味である。

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これについては先日の二つの記事で検証済みなので、ここでは要点を示す。

一つ目は企業の予想成長率が低下したことで、固定費を上げにくくなったことである。成長率低下の根底には「人口減少→国内市場の量的縮小」という構造的要因があるので対処は難しい。

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二つ目は株主構成の大幅な変化と、金融ビッグバンが促進した株主至上主義経営への転換である。付加価値の増分に対する認識が「資本と労働で山分けするもの」から「すべて株主に帰属するもの」へと変化した。

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ロナルド・ドーアの2004年時点での指摘。この10年前の1994年には「舞浜会議」があった。

日本企業の性格はこの10年間で本当に変わったと思います。・・・・・・もっとも端的にいえば、経営者マインドにおける経営目標の優先順位の変化です。15年前だったら、株価の維持よりも従業員の待遇をよくすることが、ずっと重要に思われていました。今はその逆なのです。
賃金が上昇しないのは、経営者マインドの変化、すなわち株主への奉仕を優先目標にしてきたことに起因しています。
「とにかくROEというのが世界共通の企業の成績表なんだ。うちは10%を目指すんだ」と訴えた。

二つ目と関連する三つ目が株主資本コストとハードルレートの上昇である。ROEの急上昇はequityのコストが上昇してdebtのコストと乖離したことを示している。なお、金利の自由化は1970年代後半から。

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資本コストの上昇は機械設備から労働への代替を促進する。産業革命の逆の勤勉革命の再現である。

結局、適切な政策誘導なしに市場競争だけを促進すれば、日本のような労働者が勤勉な国では、ウーバーイーツ配達速度世界一になるのではないか。

これ👇は経済産業省「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト最終報告書(伊藤レポート)の一節だが、株主が期待するリターンを実現する投資先が国内に足りないことが、結果として対外直接投資と現預金の積み上げにつながっている。

株主から見ると、内部留保は成長に向けた再投資の原資として有効活用されることが期待される。すなわち内部留保に対しては、将来収益(配当等)のためにROE水準を維持するだけの利益成長が要求されている。

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4つ目は大企業のグローバリゼーションの進展である。企業と株主が国際化したことで、賃上げ(ナショナルなインタレスト)よりも賃下げ(株主のインタレスト)が優先されるようになった。

「企業の国際化」とは、企業の経済活動を国内に限定せず、海外に直接投資を行い、海外に子会社をいくつもつくって、いわゆる多国籍企業になることを意味している。
ナショナルなインタレストよりもトランスナショナル(transnational)な企業のインタレストの方が重視される――これが「企業の国際化」である。
思考の枠組みをトランスナショナルな経済にまで拡大したとき、ケインズがかつて「国民経済」の枠組みの中においては解決可能であると確信していた「経済問題」(貧困、分配不平等、不況)がにわかに巨大な難問としてわれわれの眼前にその実体を現すだろう。

要するに、日本経済の潜在成長率に比べて著しく高い投資利益率を達成しようとする企業の積極的行動が強力な賃金抑制圧力として作用しているということで、これが金融ビッグバンを仕掛けた彼ら👇の功績である。

1996年11月11日、時の総理橋本龍太郎は官邸に三塚博大蔵大臣と松浦功法務大臣を呼び、日本の金融システム改革(いわゆる日本版ビッグバン)を2001年までに実施するように指示したのでした。実はこの金融システム改革を仕掛けたのは、当時国際金融局長だった筆者と証券局長だった長野厖士でした。官邸での会合には筆者も長野も同席しました。
「企業は、株主にどれだけ報いるかだ。雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」
「それはあなた、国賊だ。我々はそんな気持ちで経営をやってきたんじゃない」
94年2月25日、千葉県浦安市舞浜の高級ホテル「ヒルトン東京ベイ」。大手企業のトップら14人が新しい日本型経営を提案するため、泊まり込みで激しい議論を繰り広げた。論争の中心になったのが「雇用重視」を掲げる新日本製鉄社長の今井敬と、「株主重視」への転換を唱えるオリックス社長の宮内義彦だった。経済界で「今井・宮内論争」と言われる。

参考

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