MMTの教祖ケルトンの講演資料を検証

Modern Monetary Theoryの教祖ステファニー・ケルトンの講演資料の内容を検証する。資料は下の動画にリンクがある。

1) The Business Card Model

「名刺モデル」とは、たとえば親が子に「1か月後に10枚の(親の)名刺を提出せよ」と義務を課したとすると、親は1か月以内に10枚以上の名刺を誰かに配らなければならないことを指す。名刺をマネー、提出を納税としたものが現実の通貨システムだというのである。親は子に提出させる前に自分が名刺を配らなければならないので、

Spending comes first

となるわけである。

この動画の冒頭のハイライトでも「政府は税金を集める前にお金を使わなければならない」と説明している。

しかし、このモデルは現実とは異なっている。現実には、納税者が銀行預金で納税すれば、決済システム内で同額のA銀行が保有する現金(中央銀行の当座預金)が国庫に移る仕組みになっている。政府と銀行の現金の受け払いは決済システム内で完結するので、納税者は中央銀行が発行する現金を入手する必要がない。MMTの根本の「政府は納税させる前に現金を民間に支出しなければならない」は成立していないのである。

2) Money Is No Object

中央銀行のトップの発言を都合よく捻じ曲げて引用している。

ECBのドラギ総裁

“We can never run out of money” (Mario Draghi)

金が尽きないのは政府ではなくECBのことである。

Question: I am wondering: can the ECB ever run out of money?
Draghi: Technically, no. We cannot run out of money. We have ample resources for coping with all our emergencies. So, I think this is the only answer I can give you.

Eurosystemの中央銀行は政府の財政支出をファイナンスするmonetary financingを禁止されているので、ユーロ導入国の政府はcurrency issuerではない。

Fedのバーナンキ議長(当時)

“We simply use the keyboard to mark up the size of the account” (Ben Bernanke)

これは2009年のCBSテレビのインタビューでの発言だが、銀行への資金供給のことであり、中央銀行が政府の財政支出を無制限にファイナンスできるという意味ではない。

"It's not tax money. The banks have accounts with the Fed, much the same way that you have an account in a commercial bank. So, to lend to a bank, we simply use the computer to mark up the size of the account that they have with the Fed. So, it's much more akin to printing money than it is to borrowing."

Fedのグリーンスパン議長(当時)

“Under a fiat money system like the one we have today, the government
can produce such claims without limit” (Alan Greenspan)

Remarks by Chairman Alan Greenspan
At the Catholic University Leuven, Leuven, Belgium
January 14, 1997

That all of these claims on government are readily accepted reflects the fact that a government cannot become insolvent with respect to obligations in its own currency. A fiat money system, like the ones we have today, can produce such claims without limit. To be sure, if a central bank produces too many, inflation will inexorably rise as will interest rates, and economic activity will inevitably be constrained by the misallocation of resources induced by inflation. If it produces too few, the economy's expansion also will presumably be constrained by a shortage of the necessary lubricant for transactions. Authorities must struggle continuously to find the proper balance.

ドラギやバーナンキやグリーンスパンが言うように、中央銀行が原理的には無制限にfiat moneyを発行できることは当たり前で「新発見」でも何でもない。考えなければならないのは、中央銀行が政府支出を無制限にファイナンスすることは可能なのに、なぜ禁止されているのかである。

その主な理由は、財源調達のコストがゼロだと放漫財政→悪性インフレ(インフレ税の大増税)になる危険性が極めて高いことが、歴史の教訓として得られているからである。そのため、インフレリスクを反映させた金利で民間から市中銀行が創造したマネーを調達する、つまりは政府にコスト意識を持たせることで、放漫財政に歯止めをかけているのである。「無制限に通貨発行できる」という強大な力は、安全装置を取り付けておかなければ危険極まりない。

MMTは政府がインフレ抑制のために適切に行動するという性善説だが、これは「政府は国民のために権力を行使するので、憲法による縛りは不要」と同類の能天気な見方と言わざるを得ない。

4) Taxes Are For Subtraction

MMTでは政府支出はマネーの発行と民間への供給、徴税は民間からの回収と消却とされているが、実際は民間にあるマネーを一旦国庫に入れてから、再び民間に放出しているだけである。国庫に入ると民間から一時的に消えるので"subtraction"だが、再び戻って来るので消却されてはいない。

Government spending is addition
Taxation is subtraction

例えば、賦課方式の公的年金は、マネーが醵出者→国→受給者へと移動するだけだが、MMTでは「醵出者から通貨を回収して消却→通貨を発行して受給者に給付」と無理な解釈をしなければならない。

6) Debt

MMTでは市中にあるマネーは政府が供給して税として未回収のもの、国債はその一部を交換したものになる。

Just a historical record of the yen spent and not taxed back, currently being
saved in the form of JGBs 
Not about “financing” spending
The funds to buy JGBs comes from deficit spending

しかし、民間にあるマネーは市中銀行が発行した銀行預金(と預金を物理的実体にした現金)なので、これも誤りである。

7) Trade

これもMMTの有害な「反常識」の一つである。

Exports are a cost
Imports are a benefit

貿易黒字は多ければ多いほど良い、というものではない、という意味ではその通りだが、コストを減らしてベネフィットを増やすために輸出を輸入に代替すれば、国内生産・雇用・所得が失われてしまう。MMTは"urban professional elite"を助け、middle classを挫く理論ということになる。

It’s not perfectly clear what, exactly, is the culprit behind relatively anemic growth in manufacturing output. But the signs indicate trade and globalization played a much more significant role than is commonly recognized.
While the forces of globalization battered America’s middle class, they largely benefited the country’s emerging urban professional elite—managers, consultants, lawyers, and investment bankers enriched by booming international investment and by the cheapening of imports. And as multinational corporations and their bosses gained political clout, the interests of the middle class faded.

9) The Job Guarantee

MMTでは市中のマネーの量と総需要は政府が完全にコントロールしているので、失業の原因は政府の過少支出、失業対策は政府の責務となる。MMTは民間の経済活動を著しく過小評価した統制経済的な発想と言える。

3) Inflation Is the Limit

MMTのこの主張は正しいが、現実の通貨システムからも同じ結論を導き出せるので、MMTが理論として正しいことにはならない。

Relevant constraint is inflation, not solvency
Real resource constraints matter

こちらも同様である。

日本は政府債務が大きいのに低金利のままです。MMTの主張の正しさを証明しているわけです。

「日本国債のデフォルトの可能性はゼロ」なのは、政府がcurrency
issuerだからではなく、税収が途絶える可能性がほぼゼロだからである(プーリングによるリスク軽減と徴税力)。「政府債務が大きいのに低金利のまま」なのも、平時の政府は債務の大きさにかかわらず信用リスクがゼロであることと、企業部門が年間20兆円前後の資金余剰を続けているためである。「MMTの主張の正しさを証明している」ことにはならない。

結局のところ、MMTは「政府は税金を集める前にお金を使わなければならない」との勘違いに基づく誤謬あるいは詭弁の体系であり、教祖たちはケインズの『一般理論』におけるacademic scribblerの類と言えるだろう。

Practical men, who believe themselves to be quite exempt from any intellectual influences, are usually the slaves of some defunct economist. Madmen in authority, who hear voices in the air, are distilling their frenzy from some academic scribbler of a few years back.

補足

現実世界では、政府は市中銀行が創造したマネー(private money)のuserだが、MMTは政府がマネー(sovereign money)のissuerで民間はそのuserという空想世界の通貨システムを記述している。

今日では、マネーの創造と管理はほぼ全面的に民間の銀行に任されているが、ソブリンマネーは「最終的な決済資産」であり続けている。マネーのピラミッドの下から二番目の層にいる銀行が銀行間の支払いや国への支払いをするときに、決済の手段として確実に受け入れられるのは当座預金だけである。
同じように、キャッシュは国に対する信用の表象として揺るぎない地位を保っているが、流通しているマネーの圧倒的多数は、民間銀行の口座にある預金だ。1694年に政治の妥協が成立して、ソブリンマネーとプライベートマネーが融合されたことが、いまも現代のマネー世界を支える基盤になっている。

1694年の政治の妥協とはイングランド銀行の創設を指す。政府はイングランド銀行から借り入れる/政府は税金を増やして借入の返済を確実にする、というシステムが確立されたことで、イギリスは経済・軍事大国へと成長していくことになる。

戦費を賄うためにイギリスは、戦争中に借金をし、それを平時に返していく財政制度の構築に成功しました。国債の発行です。国債を発行したのは、1694年に創設されたイングランド銀行でした。
重要なのは借金の額そのものではなく、借金の返済を容易にするようなシステムの構築でした。この点で、イギリスはフランスよりも進んでいました。

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