米女子サッカーの"equal pay"要求とリベラルの変質

アメリカの女子サッカー選手が男子と同水準の報酬(equal pay)を要求している件からは、当事者のフェミニストと応援するリベラルの本質、そして先進国に広がる格差拡大の原因が見えてくる。

反トランプ発言などでリベラルから英雄視されているRapinoe選手は、今回のワールドカップで増額された賞金をさらに2倍、4倍にしろとFIFAに要求し、記者会見でも「マネー、マネー、マネー」と連呼している。

On Friday FIFA president Gianni Infantino proposed doubling the total prize money of the World Cup to $60 million. The men’s edition in Russia last year, featuring 32 teams, had a total prize money pot of $400 million. That amount for the men will rise to $440 million for the Qatar World Cup in 2022.
“It certainly is not fair,” said Rapinoe.
“We should double it now and then use that number to double it or quadruple it for the next time. That’s what I mean when I talk about do we feel respected?

しかし、女子の賞金や報酬が男子に比べて少ないのは、Sommersが説明するように、男子中学生にも惨敗するほどプレイのレベルが低い→人気がない→金が集まらないためである。

Sommersはフィギュアスケートや体操では男子よりも女子の人気が高いことを指摘しているが、その理由は、これらの競技には「女性美」に引き付けられる男のファンが多いからである(いわゆる"male gaze"の効果)。新体操とアーティスティックスイミングは女性美効果がさらに顕著で、事実上女だけの競技になっている。日本のプロゴルフの賞金が男女でほぼ同水準なのも、美女ゴルファーの「目の保養」効果によるものとみられる。

一方、サッカーや野球、アメリカンフットボールなどの競技では女性美よりもパワーとスピードが格段に劣って見るに堪えないため、男のファンを獲得できない。大抵の競技では女子のトッププレイヤーでも男子高校生には太刀打ちできない。

アメリカでは男子サッカーも不人気だが、サッカーは選手も国際化が進んでいるので、報酬もグローバル基準に準拠する。アメリカ国内の人気や集金力だけで「女子選手の報酬が少なすぎる」と主張しても無意味である。Rapinoeも認めるように、報酬が少ない根本的な理由は金を払ってくれるファンが少ないからであり、文句を言うなら男のファンを満足させるほど高レベルのプレイをするか、女性美をアピールするのが筋である。

野球でも、マイナーリーグの年俸がメジャーリーグよりも少ないことを差別と騒ぐ人はいない。ゴルフでも、シニアの賞金が少ないことを「年齢差別」と批判する人はいない。プレイのレベル・人気・集金力・報酬が連動することが当然と思われているからである。米女子サッカー選手たちは「差別」と言い掛かりをつけて男子選手が稼ぐ金を奪い取ろうとする強欲な銭ゲバ集団ということである(Greed is good.)。

男であれば誰も相手にしない主張を女がすればリベラルが支持に回るのは、男女に別の基準が適用されていることを示しているが、そのことは選手の言動に対する評価からも見て取れる。

米女子サッカーチームは「ワル」を売りにしており、それ自体は男子でも珍しくないが、

ニューヨークでの凱旋パレードの後のスピーチでRapinoeがFワードを叫ぶなど、男であれば「ワル」では済まされない言動を殊更アピールしている。しかし、主要メディア(MSM)はそのことをスルーして好意的に伝えている。

リベラルが英雄視するRapinoeの「もっと金をよこせ」「もっと自分に敬意を払え」「自分はすごい」や、公式の場で"motherfucking"と叫ぶなどの自己中心的で下劣な言動は、男であれば「何様」と批判されることは確実で、英雄ではなく力を私利私欲や破壊のために使う悪漢(villain)あるいはアンチヒーローとして扱われる。男は力を社会秩序の維持に使うことが称賛されるが、女は破壊が称賛されるという逆転現象である。

この違いは、進化の過程で形成された本性の違いを反映したものと考えられる。ヒトの女は他の哺乳類の雌のように単独では子育てできないため、男が用心棒兼食料調達係としてサポートする男女分業のペア(核家族)が生まれたと推測されているが、このことは、有能さの基準も

男:妻子に多くを与えられる
女:男から多くを獲得する/男のサポートを必要としない

と、男女で異なることを意味する。George Michaelの"Everything She Wants"で表現されているように、男はgive(支払超)・女はtake(受取超)がデフォルトということでもある。

女の本性が"take"すなわち「男から奪う・再分配の否定・私利私欲の追求」のmeismだとすれば、米女子サッカー選手の"equal pay"の要求はその典型になる。女子サッカー選手の報酬が増額されても一般のアメリカ人女性労働者の待遇改善にはつながらないので、私利私欲の追求を社会正義のように見せかける狡猾なやり方である。ネオリベラルがレントシーキングを「既得権益を打破する改革」と表現するようなものと言える。

女性解放とはこの女の本性のmeismを社会全体に拡散することなので、経済社会の支配的原理が再分配の否定と自己利益の最大化(Greed is good.)を正当化するネオリベラリズムになることを意味する。フェミニストが破壊の標的とする家父長制では、夫が妻子のために稼ぐことで女のtakeの欲望を家族の内部に閉じ込めていたが、女が社会進出すると、女がtakeする相手が夫から他人に変わるので、それを正当化する思想が必要となるからである。他者から多くを奪って与えないのが「強い女」なので、先進国で女のempowermentと並行して格差が拡大したのは偶然ではなく必然である。

It is a victory over historic discrimination. But it also means that the female elite is increasingly different from other women. Class trumps gender. And inequality among women is rising much faster than inequality among men.
Today, we employ huge numbers of nannies and cleaners. We also employ millions and millions of nursery assistants, care assistants, dishwashers and housekeepers – armies of women doing traditional female tasks. Nurseries and care homes are big sectors, and we outsource most of what we once did in kitchens at home: fewer and fewer meals are prepared at home. Workers in these sectors are low-paid. They are part of the 24/7 service economy which underpins professional lives. They are also overwhelmingly female. “Sisterhood” is dead. Different women have very different lives, and interests.

このAlison Wolfの分析は、クォータなどの男女平等政策が先進国社会の『動物農場』化を招いたことを示している(🐷=エリート女、その他の動物=エリート女に奉仕させられるその他の女、人間=エリート男)。『動物農場』の最後では、🐷と人間の見分けがつかなくなるが、リベラル(社会系)とネオリベラル(経済系)の区別がつかなくなったのも同じことである。

米女子サッカーの"equal pay"運動は、ポストモダニズムに影響されて男を諸悪の根源と見做すようになったリベラルが、経済的平等や公正よりも、私利私欲の追求を肯定する金の亡者になり果てたことを如実に示している。

付録

男子選手が稼いだ金を奪っておきながら「金だけではなく敬意も足りない」と厚かましくも要求する誇大妄想の勘違い女は男女平等先進国のノルウェーにもいる。先進国では、一部の強欲女の欲望を満たすことが「男女平等」になってしまったのである。


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