高度経済成長は外資依存という歴史修正

どうもこの辺り(⇩)が出所のようだが、日本の高度経済成長は海外からの借金に支えられていたという歴史修正を信じ(たがっ)ている積極財政派・反緊縮派がいるようである。

(23:30~)

佐藤も断っているが、ガリオア援助(Government and Relief in Occupied Areas)とエロア援助(Economic Rehabilitation in Occupied Areas)はその名の通り、アメリカが占領期間に日本の飢餓疫病・社会不安防止、経済復興のために行ったもので、日本政府の財政政策やその後の高度成長と直接の関係はない。

世界銀行からの借款など外資導入の寄与も過大評価である。下は大蔵省財政史室編『昭和財政史-昭和27~48年度』からの引用だが、昭和33年度の2.7億ドルや39年度の9.1億ドルは対GDP比で約1%に過ぎないので、1997年の韓国のようにデフォルト危機に陥るリスクはほとんどなかった。

第2次大戦により中断していた外資導入は、昭和24年から再開された。占領終結後、外資導入は増大の一途をたどり、昭和31年度には年間1億ドル(許認可ベース)に乗り、33年には2億7千万ドル(許認可ベース)に達した。戦後、外資導入がもっとも活発であったのは昭和30年代後半であり、昭和39年度には年間9億1300万ドル(許認可ベース)に達した。絶対額では昭和43年に、39年水準を突破して、以後、外資導入は増大していくが、この時期になると日本は資本輸出国に転換しているので、経済復興、経済成長への寄与という外資の役割はすでに終わっていた。

高度成長が続いている1966年には世銀を「卒業」している。

昭和41年7月29日に契約調印が行われた第6次日本道路公団借款を最後に、世銀の対日借款は終了した。世銀を通じた資金の借り手から、貸し手になることを、世銀を「卒業」するなどと称するが、日本は昭和41年に世銀の卒業生となったわけである。

世界銀行からの借入は広く知られたことであり、「財務省が重要な事実を隠して印象操作している」と鬼の首を取ったように騒ぐことではない。

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下は1977年の経済企画庁『年次経済報告』(経済白書)からだが、高度成長のエンジンは民間設備投資であって政府支出でないことは常識である。

昭和30年代から40年代前半にかけての高度成長のエンジンとなったものは、技術革新投資を中心とする旺盛な民間設備投資であった。
高度成長時代の設備投資のいま一つの特徴は、投資が投資を呼ぶというメカニズムが働いたという点である。

高度経済成長は国内資金による民間主導によるものである。積極財政派は財務省を批判したいがために歴史を修正してはいけない。

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高度成長期は「外部資金を調達→設備投資」だった企業行動が、グローバル投資家(株主)の支配力を強める構造改革によって「人件費を抑制→内部資金を調達→対外直接投資と現預金積み増し」に転換してしまったことが、約20年間の"wageless growth"の正体である。

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