「安いニッポン」・国民国家・帝国

昨日の記事に続いて「安いニッポン」についてだが、この根本原因はグローバリゼーションである(緊縮財政ではない)。

日本が低賃金の国になったのは、産業革命期のイギリスではなくインドを目指して構造改革したためである。

インドなどでは、人件費が安く、資本の価格が高い状況でした。そのため、機械化した工場に投資するよりも、たくさん人を集めて労働集約的な人海戦術でイギリスの繊維産業に対抗していたのです。
しかし、技術はどんどん進歩します。機械化された工場で生産する方が、たくさんの安価な労働力を集めて生産するよりも低価格で良いものができるようになってしまいました。こうしてインドの繊維産業は、イギリスの機械化された繊維産業の前に敗れてしまったのです。

インド化する前の日本は、資本コストが低い→設備投資が活発→労働生産性が上がる→賃金が上がる状況だった。

レーガン政権が設立した産業競争力委員会のHardage委員は1985年3月29日の米上院財政委員会公聴会"Review of Findings of the President's Commission on Industrial Competitiveness"において、日本の半導体メーカーの競争力の源泉は低い資本コストだったと述べている。

A commerce Department study covering selected years found that our cost of capital was higher here than in Germany, France, or Japan. And a report by the Semiconductor Industry Association found that the Japanese success in semiconductors in the 1970s was due in large part to lower capital costs, not superior technology, and not necessarily lower labor costs.

この発言👇は今日の日本に当てはまる。

I think this is very important. The cost of capital generally receives less attention from the press or from the public than does the cost of labor.

The two most important ingredients in our competitiveness posture are labor and capital. We cannot, and I don't think anyone wants to, drive down our cost of labor or wage rates; but we can and should pay attention to the other ingredient which is our cost of capital.

しかし、1999年7月に速水日本銀行総裁(当時)が講演「日本経済の中長期的課題について」で指摘していたように👇、低い資本コストと資本生産性ではグローバル投資家を満足させられない。

日本では、労働人口が伸び悩む中で、高度成長期以降積極的に設備投資を行い、資本の蓄積を進めてきたため、労働者1人当たりの固定資産の量が大幅に増加しているという事実があります。
こうした資本蓄積によって、今や日本の1人当たりGDPが世界有数の水準にあることは、勿論、世界に誇るべきことだと思います。しかし、このことを資本の側からみますと、同じGDPを得るのに必要な固定資産の量が趨勢的に増加している、すなわち、資本の生産性が落ちているのです。
このことは、投資家からみれば、「日本では資本が効率的に利用されていない」ということに他ならず、資本移動が自由化された下では、海外の投資家だけでなく国内の投資家ですら、日本企業への投資を躊躇するということになると思います。
やや比喩的に言えば、「経済のグローバル化が進み、資本が国境を越えて自由に移動するようになる中で、資本蓄積の最も進んだ日本は、資本にとって居心地の悪い場所になってしまった」ということだと思います。

Free, Fair, Globalの金融ビッグバンはグローバル資本の論理に基づいて日本経済を改造するもので、株主資本コストが急上昇したために日本企業は1970-80年代のような「低い資本コスト→外部資金調達→活発な設備投資」での競争ができなくなり、代わりにインド的な「低賃金労働者による人海戦術」への転換を余儀なくされた。政府は雇用規制緩和でこの構造転換を促進した。

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技術立国から「安いニッポン」への構造転換は、日本経済が自立的な「国民国家の枠組み」から、相互依存的な「トランスナショナルな枠組み」に移行したことを意味する。政治の用語では国民国家から帝国の(実質的な)一部に組み込まれたと表現できる。帝国の価値観(ネオリベラリズム)を信奉する政官財学のエリートがグローバル資本に帰順したことが「安いニッポン」の元凶と言える。

本書の第1部「ナショナリズムと西洋の自由」では、西洋の政治で長年対立が続いてきた2つの政治秩序のビジョンが比較される。1つは自由で独立したネイションの秩序(国民国家)。もう1つは唯一の超国家的権威による、単独の法体系下で結合した人々の秩序(帝国)である。
リベラルな構造を突き詰めるとある種の帝国主義に至ると、ハゾニーは考える。
ハゾニーにとって、国民国家という枠組みを超えて、普遍的な秩序の名のもとに人々を支配しようとする「帝国」こそ、その野望を阻止するために立ち向かわなければならない最大の敵なのである。

リフレ派の日本銀行悪玉論、反緊縮派の財務省悪玉論は、「最大の敵」を隠すための世論操作ではないかと疑われる。

橋本龍太郎に金融ビッグバンを進言したのは大蔵省の榊原英資長野庬士

1996年11月11日、時の総理橋本龍太郎は官邸に三塚博大蔵大臣と松浦功法務大臣を呼び、日本の金融システム改革(いわゆる日本版ビッグバン)を2001年までに実施するように指示したのでした。実はこの金融システム改革を仕掛けたのは、当時国際金融局長だった筆者と証券局長だった長野厖士でした。官邸での会合には筆者も長野も同席しました。

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