リベラルが目指すジェンダーフリー社会

この記事は問題だらけだが、事件そのものは日本でLGBT法案を強引に成立させようとした勢力の真意を知る参考になる。

発端となった「事件」の真相については情報が錯綜しているが、動画に登場する人々やデモと衝突の参加者は動画の内容を事実として反応している。

But when the biological male came in, along with two women, she said "I just felt shamed, and ashamed and embarrassed." The biological male sat right down on the edge of the hot tub, and along with two companions.
'All three people were white. The two girls had tattoos and colored hair. I don't like the whole race-baiting thing, but I would categorize them as the privileged, white, progressive-type people.
'The person I saw seemed like an activist… Almost enjoying everyone around them being uncomfortable.

『ポストセブン』の記事だが、これ👇は騒動とは無関係で、韓国系への不必要な悪口である。

「コリアンといえば、まず頭に浮かぶのはいかがわしいマッサージ店
もっとも今回の事件では、マッサージを隠れ蓑に売春をしている悪徳コリアン業者たちまで正義の味方ぶることには違和感を感じますけどね」

「トランスジェンダー(性転換者)」も正しくない。肉体改造は不要で自称するだけでOKである。

衝突の全体の構図も、女スペースへの男の立ち入りを禁止しないスパに抗議する一般人にT側がカウンターを仕掛けたというもので、「忍者のような全身黒ずくめ」はT側の極左暴力集団のANTIFAである。

そして迎えたデモ当日。数十人のLGBTQ支持者が「トランスジェンダーの女性は女性だ」と書かれたプラカードを掲げて集会を始めようとしたところに、忍者のような全身黒ずくめのQアノン数人が襲い掛かった。リュックに銃を忍ばせている者や鉄パイプを持参した者もいた。

この事件・騒動が対岸の火事では済まされないのは、LGBT法案が成立すれば同様の事態が遅かれ早かれ日本でも起きると予想されるからである。

自民は10日の議連総会で修正案を示し、法案の目的に「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」との文言を追加。「性同一性」という言葉を、政府答弁で使用している「性自認」に変更した。その後、法案の基本理念にも「差別は許されない」との文言を加えた再修正案を示し、野党側が受け入れた。

性自認は本人の申告でしか判断できないので、外見と身体は男だが性的指向及び性自認(自称)は女の男装する人物を男扱いすることは許されない差別になる。

推進勢力の日本学術会議も、2020年9月23日の提言「性的マイノリティの権利保障をめざして(Ⅱ)―トランスジェンダーの尊厳を保障するための法整備に向けてー」で、性別変更について「生殖不能要件と外性器近似要件/外観要件をともに廃止することを提案する」としている。つまり、自称するだけで男は女、女は男として社会的に扱われるようになる。2021年5月に高裁で逆転敗訴となった件についてもこの👇ように記されている。

経済産業省事件(東京地判令和元年12月12日)(用語解説⑭)は、健康上の理由から性別適合手術を受けられず、戸籍は男性のままで女性として勤務するトランス女性の職員が女性トイレの使用制限などが不当であるとして、国に処遇改善と損害賠償を請求したケースである。判決では、「個人が自認する性別に即した社会生活を送ることができることは、重要な法的利益として、国家賠償法上も保護されるべき」であるとして、トイレ使用制限などが違法と判断されたが、これは、トランスジェンダーに対する配慮を認めた点で重要な意義を有する。

一応、この👇ように記されてはいるが、本人が認めなければ、なりすましと疑うこと自体が許されない差別になるので、刑事法での対応は事実上困難になる。

トランスジェンダーを装う「なりすまし」は犯罪行為であり、刑事法で対応すべきである。

リベラルの間では、性自認は流動的というgender fluidの概念が一般的なので、「大半の時間の性自認は男だが、トイレ、更衣室、風呂に入る時には女になる」もあり得る。

既にこの👇ように女のsafe spaceを無効化する動きが強まっているが、

新型コロナウイルス感染症が収まった後のシナリオとして考えられるのが、日本人が外人に弱いことを利用した内外連携作戦である。例えば、女湯に自称女の外人男が入ろうとする→拒否される→トランス差別&外人差別の二重差別として全世界に発信する→外圧を利用して入湯を認めさせる、のようなものである。「日本の温泉や銭湯に行って性自認は女と告げれば女の裸が見放題」として、インバウンド観光促進の目玉にもなる。

大半の日本人は「そんな馬鹿な」「いくら何でもあり得ない」と思うかもしれないが、常識を書き換えようとする人々を一般人の常識で判断してはならない。スロバキアの元内務大臣もジェンダーイデオロギーはネオマルクス主義だとしてその危険性を強く警告している。

Dieses westliche kommunistische Denken ist ein anderer Zweig des Marx’schen Kommunismus in einem weiteren Sinn. Persönlich ziehe ich die Begriffe „Neomarximus“ und „anthropologische Revolution“ vor. Der Schwerpunkt liegt dabei nicht bei der ökonomischen Transformation, sondern bei der kulturellen.

『動物農場』では規則がいつの間にか変更されて動物たちが抑圧されていくが、人類学的革命を企むリベラルの戦術も同じである。性を身体的なものから自認に変更すれば、オセロで隅を取ったように、世の中を一変させることが可能になる。

付録

リベラルが信奉する「進歩」のイデオロギーについての実に的確な分析。これが1988年であることには驚かされる。

「ポストモダンの行方」1988年4月15日・長崎大学にて講演

要するにポストモダニズムの眼目は、これまでわれわれを縛って来た倫理、伝統、制度、言説の一切を何ら根拠なきものとして示すことにあるわけです。
たとえば家庭崩壊などと嘆かれるけれども、どうして家庭が崩壊していけないのか。人間にとって家庭が必然不可欠の制度であるという根拠がどこにある。どこにもありはしない。われわれは家庭など必要としない新しい文化を生み出しつつあるのだと考えてどうして悪いのか。また、どうして男が男らしく女が女らしくある必要があるのか。男が女みたいな恰好したって、その逆であったって、一向構わないじゃないか。だって、ある自然性にもとづいた男らしさ女らしさなんて存在しないのだし、そういうものはすべて恣意的な文化的規範にすぎないのだから、というわけです。そして、そういう過去からひきずって来た共同的な幻想を解体した先に、人類がこれまで経験したことのない自由で楽しい、遊びにみちた世界を展望するのが、今日のポストモダン論者の特徴です。 
彼らの言説の行きつく先を見ますと、何のことはありません、おそろしく単純化された自由の擁護、個人の権利の主張、国家的諸制度に対する市民主義的抵抗、フェミニズム・マイノリティ擁護・コスモポリタニズムへの傾斜、一切の規範・拘束への嫌悪等々において、彼らは実に実直にして素朴な近代的価値の信奉者であることが明白になってまいります。自己決定権という彼らの滑稽なスローガンは、何ものにも拘束されざる自由にして全能の個人という、近代の透明かつ単純な原子論的人間像の戯画にほかなりますまい。
ウィンブルドンの関係者は、2007年には同一賃金、数年前には男女の選手に関して平等にツイートすることを約束していたため、今回のタオルはまだ残っていた男女の区別のひとつであるとし、この動きは「進歩」であると述べた。

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