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「性」で稼いだ女がフェミ化する心理

中央公論がフェミのプロパガンダを特集している。

このエピソード(⇩)が示しているのは、若い女は「体を見せる」ことを稼ぐ武器として使えることである。顔が悪くて売れない男が「脱ぐしかない」と言われないのは、脱いでも無意味なことが分かり切っているからで、この点において女は丸腰の男よりも優位にある。

私は、高校を出てすぐに芸能の世界に入りました。そこで、「女の人は水着にならないとやっていけないよ」と言われて、芸能の仕事とはそういうものと信じてしまいました。それでグラビアのモデルを始めましたが、最初は水着でと説明されていたにもかかわらず、徐々に体を露出させるようにという要求が増えていき、それに加えて、セクハラや性暴力の被害に日常的にあうようになりました。でも、そのときはそれも仕方がないことなのか、と諦めて過ごしていました。
当時のマネージャーや出版社の担当者には、「君は顔がよくない」「売れていない」、だから「脱ぐしかない」と言われていました。これは、女性に自信をなくさせ、それしか道はないと思わせる、グラビア業界ではよくあるやり方です。だからグラビアをやっている女の子には自分に自信がない人がとても多い。今思えば、まさにパワハラの典型です。

体の性的価値が女≫男であることを示すエピソードは芸能以外にも山ほどある。

芸能人としては容姿が優れているとは言えない石川が(本人が今思うところの)パワハラを受けていたのは、体に性的価値があったからこそである。

しかし、その価値は加齢とともに暴落する。石川は1987年1月1日生まれらしいので2017年12月には31歳になる直前だったことになるが、その年齢では武器は消耗して使えなくなっていただろう。若い間は脱ぐことは嫌でも売れたので我慢できたのだろうが、需要がなくなったことで「嫌」な気持ちだけが残り、過去に遡って自分は性的搾取された被害者だという認識になったのではないか。

二〇一七年に、ハリウッドで#MeToo運動が始まったときも、最初は、自分からは遠い世界のことだと思って見ていたんです。でも、その年の十二月にブロガーのはあちゅうさんが、過去にセクハラやパワハラを受けていたと告発した文章を読み、自分が受けていたのも、セクハラとパワハラなのだ、と気がつきました。同じ国で、年齢も近い人が告発したことで、初めて自分の被害と繋げることができたのです。

「セクハラや性暴力の被害」が本当なら告発には正当性があるが、取り柄が無くて売れない芸能人に「脱ぐしかない」と言うことは犯罪的とは言えないだろう。言われたくないのであれば芸能界を諦めればよい。「女性だけにヒールを強要するのは性差別です」も、男だけに強要されるドレスコードがあることが見落とされている。

「性」を男に売ってきた女が加齢とともに売れなくなる(あるいは売り抜けるタイミングを逸する/売っていた過去をロンダリングしたくなる)と、そのことに対する不満が「自分を性的消費してきた男たちへの怒り」に変換されるのではないだろうか。フェミに目覚めた女にはこのパターンが少なくないように思われる。

それにしてもフェミ汚染が凄まじい(⇩)。


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