西洋人には「信仰」が必要

当noteではこれまでに西洋人の世界観・思想について書いてきたが、それらが普通の日本人には理解困難な根底には、日本人の世界観は「つくる」ではないことがある。

世界の神話では、「つくる」「うむ」「なる」という基本動詞によって世界の発生と神々の発生が説明されてきた。これらは一連の神々の動作のように見える。
しかしながら「つくる」では、往々にして作るもの(主体)と作られたもの(客体)が分離する。ユダヤ=キリスト教やギリシア自然哲学ではここが明快だ。そして、その分離した主体には「うむ」という自主行為も位置される。「つくる」と「うむ」とは一連なのである。生成とはそのことだ。

https://1000ya.isis.ne.jp/0564.html

世界を「つくる」ためには世界を統べる「律」あるいはコードの体系が必要であり、西洋のインテリが日本人から見れば異常なほど思想やイデオロギー、宗教にこだわるのはそのためである。彼らは確固とした思想体系が意識できなければ精神的に落ち着けないということでもある。フィクションではあるが、そのことが描かれているのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』で、無神論者を自認する次男イヴァンは精神不安定になってしまう。20世紀までは「西洋人には自分は無神論者だと言わない方が良い」と言われていたのも、彼らは人間には確固とした「信仰」が必要である(⇒それが無い人間はまともではない)という世界観・人間観を持っているためである。

キリスト教信仰が弱まると、その代替としてコミュニズム、ファシズム、ナチズムが登場し、それらが滅びると変異したリベラリズム(wokeism)が広まっているというのが現状である。

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