失われた30年は10年+20年

「失われた10年」が20年、30年と延びたところを新型コロナウイルス感染症に直撃されている日本経済だが、再建には1990年代の10年と2000年代からの20年が全く別物であることの認識が欠かせない。以前にも論じた内容だが、データをアップデートして再度取り上げる。

10年と20年の違いが企業部門の構造変化にあることを財務省「法人企業統計調査」で確認する。2009年度以降の当期純利益と配当金は純粋持株会社を除いている。

先に書いておくと、バブル期の過大な投資が過剰設備と過剰債務となって「失われた10年」を招き、それを解消した後は過大な利益が「失われた20年」を招いている。

順調に増えてきた人件費が1990年代半ばから長期停滞に転じている。

画像3

対照的に、当期純利益はバブル崩壊後から約10年間低迷したものの、その後は急増して2017・2018年度にはバブル期のピークの3倍に達している。

画像4

プラザ合意前の1984年度を1として指数化したもの。

画像1

上のグラフから人件費を除いたもの。バブル期の設備投資が過大だったことが見て取れる。これがバブル崩壊後に過剰設備と過剰債務となって「失われた10年」を招くことになる。

画像2

下のグラフは、2000年代になると設備投資を内部資金で十二分に賄える金余りになったことを示している。借入の必要がないので、日本銀行が利下げしても効果がない。

画像6

人件費への分配割合は高度成長期の水準に引き下げられたが、設備投資は高度成長期とは逆に抑制的なので大幅な金余りになり、配当金と内部留保が増えている。この労働から資本への大規模な分配シフトが2000年前後の構造改革の成果である。

画像8

人件費抑制の規模だが、仮に人件費+当期純利益+減価償却費に占める人件費の割合を80%に保っていたとすると、2012年末からの景気拡大期には20~30兆円程度増やせていたことになる。

画像8

「失われた10年」はバブルの処理に失敗した結果だが、その後の20年は「自国の労働者階級を豊かにすることが得策であるという考え」を捨てた新興勢力の改革派によって「システムの均衡にとって不可欠なもの」が破壊された結果と言える。安倍首相(当時)のニューヨーク証券取引所での「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」はその延長線上にある。

両大戦間時代には病み衰えていた資本主義は、1945年から、規則的な発展率を回復した。過剰生産に対する解決策は単純だったが、ただしだれかがそのことを考える必要があった。つまり、労働者はより多く消費すべきである、ということである。それ以降、勤労者の生活水準の進歩は、システムの均衡にとって不可欠なものであることが認められた。
ケインズ理論の主たる帰結は、もちろん景気後退期における国家による投資であるが、それより目に付きにくいが構造に関わるものだけにより重要な帰結は、自国の労働者階級を豊かにすることが得策であるという考えを西側ブルジョワジーが受け入れた、ということである。経済発展期における労働者の賃金の持続的上昇は、消費の規則正しい上昇をもたらし、それが生産の総体を吸収する。

(トッドはこれを25歳の時に書いている。)

構造改革とは、"Japan as No. 1"を実現させた修正資本主義を「両大戦間時代には病み衰えていた資本主義」に逆戻りさせるものだったわけだが、それがスムーズに進んだのは、改革に熱狂した国民が「抵抗勢力」を叩き潰したからである。踊らされた国民がバカだったということである(未だに気付いていないようだが)。

画像8

画像9

付言すると、日本の特異性は下げる・減らす・削る・廃止するといった縮み志向の施策が国民に支持されることにある(→ポピュリズムがバラマキではなく緊縮志向になる)。これには「利休の茶室」的なものを好む国民性と高齢化が関係していると考えられる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?