経済音痴のれ新代表(と軍師)

れいわ新選組の山本太郎代表の発言を検証する。

山本太郎のQ&A

18分頃~の国民年金に関する質問への回答

年金という制度自体をもう国としては止めてもいいんじゃないかというふうに思っています。もう既に払われているお金に関しては当然戻していく作業が必要でしょうとは思います。自分で将来に対してもらえる額を積み上げていくんですよね。それなら国がやらなくても民間でもいいかもしれないですよね。そういうシステムが必要な方々は。今、国民年金として積み上がっているものとして100兆円位あるわけですから・・・
年金っていう制度を無くすんだったらその後どうするんですかってことなんですけど、私は根本的に生存を保障するという制度に変えていきたいと思っています。基本は生活保護みたいなスタイル。

既に多くの人に指摘されているが、公的年金は世代間の仕送りの賦課方式を積立金で補完する仕組みで、「自分で将来に対してもらえる額を積み上げていく」ものではない。公的年金の積立金は約200兆円、うち国民年金(国民年金勘定+基礎年金勘定)は10兆円強なので、「100兆円位」も不正確である。

公的年金には再分配機能がある点でも民間の年金とは異なる(その他の社会保険も同様)。山本案は「基礎年金を税方式にして給付額を増やす」と同じであり、公的年金制度を廃止しなくても実現できる。

山本案を健康保険に適用すれば、「公的給付の対象は基礎的医療に限定・それ以上は自費か民間保険でカバー」になりかねないことにも注意が必要である。

26分40秒~の特別会計に関する質問への回答

一般会計と特別会計に分かれているものに関してこれを一つにして透明化していくことが必要であろうということだと思います。何が重要かといったら、情報公開が最大限された上で、皆さんがその内容について非常に理解できるというものを提供するのが、私は本来の行政のやるべきことだと思っています。なので、それに対して異論はございません。やっていくべきだというふうに思っています。
よく言われます。「特別会計にメスを入れてくれ」とかいう話なんですけど、特別会計にメス入れた人ってなんか命失ったりとかしてますよねってことなんですね。つまり「特別会計に対してどうしてお前は意見しないんだ」って話なんですけど、それを言われるたびに「山本太郎死ね」って言われているような気分になるっていう話なんですね。

小泉政権と財務省の情報操作に引っ掛かって特別会計を不可侵領域であるかのように思い込んでいる人もいるようだが、インターネット上にも情報は公開されており、規模も財務省の説明(⇩)にあるように大したものではない。一般会計と特別会計に分かれていることにも合理的理由がある。山本は「特別会計に触れると殺される」などという悪質な印象操作は控えるべきである。

国の行政活動が広範になり複雑化してくると、場合によっては、単一の会計では国の各個の事業の状況や資金の運営実績等が不明確となり、その事業や資金の運営に係る適切な経理が難しくなりかねません。このような場合には、一般会計とは別に会計を設け(特別会計)、特定の歳入と特定の歳出を一般会計と区分して経理することにより、特定の事業や資金運用の状況を明確化することが望ましいと考えられます。
特別会計の歳出総額は、令和2年度予算で391.8兆円に達していますが、会計間相互の重複計上額等を除いた「純計額」は196.8兆円となっています。
この中には、①国債償還費等85.0兆円、②社会保障給付費(法律に基づく給付そのものを指し、事務費等は含みません)72.0兆円、③地方交付税交付金等19.8兆円、④財政融資資金への繰入れ12.0兆円が含まれています。それらを除いた7.9兆円から、東日本大震災からの復興という特殊な要因である復興経費1.7兆円を除くと、6.2兆円となります。
この6.2兆円の内訳を見ると、保険事業が4割を占め、続いてエネルギー対策が2割となっています。

ちなみに、「特別会計にメスを入れて命失った人」は筋金入りの市場原理主義者・ネオリベラルである。生きていれば反・反緊縮派になっていただろう。

“市場”が死亡状態となり、借金が借金を呼ぶ財政破綻構造に陥っている。積もり積もったほんとうの借金額は1000兆円を超えている。日本再生の鍵は国家体制を官制経済から市場経済に移行させることである――。

1時間26分頃~

超就職氷河期。98年ですか。その前の年の97年には消費税増税とアジアの通貨危機が重なって翌年からはそんな状況が大きく広がっていった。

過激な市場原理主義改革の契機になった1997年のショックとは11月からの金融危機であり、それに比べれば消費税率引き上げやアジア通貨危機は小事に過ぎなかった。2014年の増税が不況を招かなかったことも、消費税が諸悪の根源ではないことの証拠である。

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ショック・ドクトリンとは、「惨事便乗型資本主義=大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革」のこと。アメリカ政府とグローバル企業は、戦争、津波やハリケーンなどの自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人びとがショックと茫然自失から覚める前に過激な経済改革を強行する……。

「1997年の日本経済にとって最も重大な出来事」として金融危機を挙げない論者はすべて信用できないとしても差し支えない。

2時間4分頃~では「商品券を給付→確実に消費に回る→インフレ圧力が高まる」「現金を給付→一部は貯蓄される→インフレ圧力が商品券に比べて弱まる」と回答しているが、そうはならないことは地域振興券で実証されている。商品券は貯蓄できなくても、商品券で支払を代替された現金は貯蓄できるからである。

商品券になっちゃうとこれ確実にインフレが進むと思います。ならば、たとえ現金給付だったとしても、みんながみんな使うわけじゃないんですよ。てことを考えるならば、インフレを進めないためには、逆に現金の方がいいのかもしれないです。つまりは貯めるって人も出てくるということです。

2時間32分頃~では

日本は何十年にもわたってデフレです。

と言っているが、明明白白な誤りである。

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山本はブレーンにおかしなことを吹き込まれているのだろう。

付録①:軍師の実績

松尾氏を介して人脈が広がり、関西学院大の朴勝俊教授らからもレクチャーを受けることになった。
松尾氏は朴氏らと「ひとびとの経済政策研究会」と呼ばれる研究会を立ち上げている。

松尾の2013年4月8日のエッセー「岩田さんと黒田さんとスティグリッツさんの話」での予測(⇩)

断言しましょう。大変な好景気がやってきます。バブルを知らない若い世代は、これを見てビビって目を回すでしょう。
次の総選挙は、消費税引き上げ後の多少の混乱を乗り越えたあとの、絶好調の好景気の中で迎えることになります。

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(年平均伸び率はそれぞれ+5.3%、+1.6%、+1.2%)

付録②:MMT

日本銀行が政府支出をファイナンスすることは財政法第5条(⇩)で禁止されている。

すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。

魔女は「魔法の杖からいくらでも札束を出せる」が、重要なのは出せることではなく出さないことである。現代の通貨システムは中央銀行は政府支出のために通貨発行しない原則に基づいて動かされている。この原則は世界共通である。

「財務省広報ファイナンス」(2005年6月号)で説明されているように(⇩)、政府は民間部門から調達した資金を支出するのであり、自ら通貨発行したり、中央銀行から直に資金調達して支出に充てることはない。

国は、租税及び国債等の形で民間部門から資金を調達し、これにより、公共事業、社会保障、教育及び防衛等様々なサービスを提供している。

日本のMMTerはアメリカの直輸入で政府小切手を用いて説明するのが好きだが、同じく「財務省広報ファイナンス」で説明されているように、日本では国庫金の支払は政府小切手から銀行振込に変わっている。MMTerが現実の通貨システムについての理解と関心を欠いていることの傍証である。

国庫の管理責任者は財務大臣であるが、国庫金はすべて日本銀行への預金とするとともに、その出納事務も原則的に日本銀行に取り扱わせている。なお、この制度における国庫金の支払いについては、従来、原則として、日本銀行を支払人として小切手を振り出し、その小切手が国の預金から引き落とされるという仕組みを取ってきたが、近年の電子化の進展に伴い、現在では、官庁会計事務データ通信システム(ADAMS)を用いて日本銀行に指図することによって、日本銀行が国の預金から金融機関の当座預金を介して払い出すという仕組みが原則となっている。

納税者の銀行預金が現金と交換されて国庫(政府の預金口座)に移動しただけで消滅していない。「個人Aが銀行預金口座から現金を引き出してBに支払った」と本質的には同じことである。現金がBの財布に入ることは「貨幣の消滅」ではなく、Bが買い物の支払に財布から現金を取り出すことは「Bが貨幣を発行した」ことではない。MMTerが説明する通貨システムは現実世界のものではなく、彼らの空想世界にしか存在していない。

ブレーンがこれでは山本が経済音痴になっても仕方がない。

付録③:株主至上主義

企業が利益率引き上げのためにコスト削減を強化したことが、2002年以降の景気拡大期にも物価と賃金が上昇しなかった主因である。

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株主至上主義とは経済社会全体よりも個(株主)の利益を優先するもので、リベラリズムの一種と言える。リベラル(左派・革新)が株主至上主義を「主敵」として批判しないのはそのため。

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