一妻多夫への拒否反応

中国では「剰男」が社会問題になっているが、

その解決策として大学教授(経済学)が一妻多夫制を提案したところ、批判されているという。

SNS「ウェイボー」では、ある女性が「彼の発言にショックを受けた。いまって2020年だよね?」と、その時代錯誤っぷりを非難。また別のユーザーは、「つまり、彼は性奴隷を合法化したいんだね」と指摘した。

男女を反転した一夫多妻制を「夫が妻の性奴隷にされている」と批判する人がいないのは、結婚に求めるものが男女で異なることの反映である。

一夫多妻制には男による女の経済的保障という福祉的意味がある。

一夫多妻制と聞くと男尊女卑の象徴の様なイメージを持たれる方がいらっしゃると思いますが,当初は戦争で未亡人,母子家庭が増えるなど結婚できない女性を救うための制度として導入されたという説が有力です。

これに対して、チベットなどに見られる一妻多夫制は、男に性的アクセス権を保障する福祉の意味がある。

複数の兄弟が一人の妻を共有するのは、チベットにおいては、自由主義的な遊戯的文化の結果として生じたわけではない。それは全く単に不平等と権威の原則の特異な適用なのである。チベットの一妻多夫婚の内実とは、ただ一人結婚する権利を持つ長子が、自分の妻への性的なアクセスを弟たちに許容する特権である。こうしたことの全体によって、家や土地の細分化を避けることが可能になる。これと同じ結果を達成するために、ヨーロッパのキリスト教直系家族は、長子相続に、時として弟たちへの独身と禁欲の宣告を加えていた。

一夫多妻の夫は性奴隷とは見做されないのに、一妻多夫の妻が性奴隷のように感じられるのは、可能であれば一夫多妻をやってみたい男はいるが、一妻多夫をやりたい女はほとんどいないためである。

雄は性的アクセスできる女の数が増えるほど子の数も増えるので、対価を支払ってでもアクセス権を得ようとする傾向が生じるが、雌は相手する雄の数が増えても子の数は増えないので、雄の量より質を重視する傾向が生じる。

一妻多夫制への拒否反応は、雌と雄は入れ替えられないという当たり前の事実の反映であり、性役割は社会的に構築されたものなので如何様にも変えられるというリベラルの教義が誤りであることを示している。

異性に対する「福祉」への積極性の男女差(男はinclusiveだが女はexclusive)を無視して女のempowerment(⇔男下げ)を進めるとどうなるかは、韓国や北欧諸国を見ればよい。

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