『奇跡の経済教室』が拡散するデマを検証する

またまた反緊縮派に流布する誤りを検証するマニアックなネタの繰り返しであることをお断りする。興味が無い人はスルーしてもらいたい。

昨日の記事(⇩)より先に書いていたものなので、重複する内容が多いことも承知されたい。

反緊縮派がオウムのように唱える「民間貯蓄は政府支出の原資ではない」「その逆に、政府支出が民間貯蓄を増やす」というデマの発生源の一つが中野剛志の『奇跡の経済教室』のようなので、【戦略編】の48~51ページの「⑵政府支出の実際」の記述を検証する。

①政府は赤字財政支出を行うにあたり、国債を新規に発行して、民間銀行に売却する。なお、民間銀行が新規発行国債を購入するためには、あらかじめ日銀当座預金を有している必要がありますが、この日銀当座預金を供給したのは、日銀です。
②民間銀行が新規発行国債を購入すると、その購入額分だけ、民間銀行の日銀当座預金が減り、政府の日銀当座預金が増える。
③政府が財政支出を行うと、支出額と同額分だけ、民間事業者の預金が増え、同時に、民間銀行の日銀当座預金もまた、同額だけ増える。つまり、②で減った分が戻ってくるので、民間銀行の日銀当座預金の総額は、最終的には不変である。
④その結果、財政支出は、それと同額だけ民間部門の預金を増やし、金利は不変である。
この結果から、極めて大事なことが分かります。
それは、「政府の財政赤字をファイナンスしているのは、民間貯蓄ではない」ということです。
実際の財政支出(⑵)では、確かに、民間銀行が国債を購入してから、政府支出が行われてはいます。
しかし、民間銀行は、民間部門から集めてきた預金ではなく、日銀が供給した日銀当座預金によって国債を購入しているのです(⑵の①)。
ですから、民間貯蓄は、政府支出の原資ではない。その逆に、政府支出が、それと同額の民間貯蓄を増やしているのです(⑵の③)。

図示すると下のようになる。✚の左右は資産と負債、上下は増加と減少を表す。右端には銀行部門全体を示す。中央銀行の当座預金は「中金」と表示している。③では政府が民間事業者からの物品購入で支出する。

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銀行部門全体では、結果的に資産の国債と負債の預金が両建てで増加している。中野はこれを「国債発行→政府支出によって民間貯蓄(預金)が増えた」と解釈しているが、これが正しくないことは、国債を銀行以外が買う場合と比較すれば分かる。

非銀行の国債投資家(主に保険会社や年金基金)が買う場合は①~④が➊~➍になる。

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国債発行→政府支出によって民間貯蓄が増えるのであれば、➍でも銀行部門に負債の預金が増えるはずだが増えていない。➊~➍のプロセスを見れば、➍でB銀行にある民間事業者の預金は、➊➋でA銀行にあった国債投資家の預金が中銀預金の移動によって移動してきたものであることは明らかである。このことは、中銀預金を物理的実体がある現金に置き換えると分かりやくなる。現金がA銀行→政府→B銀行と移動することで、A銀行の預金は減少・B銀行の預金は増加する。➍で銀行部門に変化が無いのは、カネの移動を仲介しただけでmoney creationは無いからである。

➊~➍を理解すれば、①~④で預金が増えた理由が「A銀行が国債を買うことでmoney creationしたから」であることも分かるはずである。国によっては政府が民間銀行にも預金口座を置いているが、その場合には①②は①と②に分解できるので明確になる。①のA銀行が④の銀行部門になっている。

①A銀行が国債を購入して自行の政府預金口座に入金する。
②A銀行が自行から中央銀行の政府預金口座に送金する。

日本では政府の預金口座は日本銀行だけにあるので①でA銀行がmoney creationしていることが見えないが、A銀行の対政府信用供与が結果的に民間貯蓄(預金)を増やしている。

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以下は元日銀マンの説明(強調は引用者)。MSはmoney stockのこと。

国債を市中銀行が引受けた場合には、銀行の対政府信用創造が行われるわけで、その時点で財政揚げ(=MS減)とはならない。そして政府はこれによって調達したオカネを、目的に応じて民間向けに支出し、これが個人・企業の預金となって銀行に入ってくる(財政払い超)。この結果、通算すると、MS総量は市中銀行の国債引受け分だけ増えることになる。これが個人・企業等非銀行による国債引受けのケースとの決定的な違い。

中野の誤解はここ(⇩)に起因しているようである。

民間銀行は、民間部門から集めてきた預金ではなく、日銀が供給した日銀当座預金によって国債を購入しているのです。

➊➋を見れば分かることだが、中銀預金は国債投資家の預金の代理として動いているだけで、国債を実質的にファイナンスしているのは国債投資家の預金である。中央銀行が独占供給する中銀預金と現金の役割は、銀行間で預金を移動させることなので、中銀預金で購入していることは預金が無関係であることを意味しない。

中野は47ページではこのように(⇩)アジっているが、完全なデタラメである。日本国が採用している世界標準の財政・通貨制度では、政府は小額の貨幣(硬貨)を除いて通貨を発行しない。硬貨は民間銀行が発行した預金と交換されなければ市中に流通しないので、政府支出の原資にはならない。

日本政府は、コンピューターのキーを叩いて、何もないところから10億円という通貨を創造したのです。
そもそも、政府は、自国通貨を発行できます。ですから、その自国通貨を他者から借りる必要などないではないですか!

確かに、通貨の制定者である政府は何もないところから通貨を創造して支出に充てることが可能だが、現行制度はそのようには動いていない。中野は現実と虚構を取り違えている。

なお、政府が借りる必要がないのに他者から借りているのは、過剰発行→悪性インフレを防止するためである。政府はインフレ率が高騰していてもゼロコストで通貨発行できるので支出に歯止めがないが、借りる場合は調達金利の上昇が歯止めになる。中野は政府が通貨発行を止めてわざわざ借りるようになった理由を理解していない。

補足

このような批判に対して、MMTの教祖は一応の答えを用意している。

This is one of the areas where several critics of MMT have focused, claiming that the MMT focus on consolidation is at odds with their perception of reality.
They claim that MMT presents a fictional account of the world that we live in and in that sense fails to advance our understanding of how the modern monetary system operates.
This fiction is centred on the way MMT ‘consolidates’ the central bank and treasury functions into the ‘government sector’ and juxtaposes this with the non-government sector.
I discussed that issue in this blog post (among others) – Marxists getting all tied up on MMT (May 1, 2019).
But what the critics miss, is that despite the appearance that central banks have become independent of the political process, an appearance that is reinforced by false statements from my profession, the fact is that at the level of substance, the central bank and the treasury departments work closely together on a daily basis.

全部を読めば分かるが、答えになっていない。ミッチェルは財務省と中央銀行が日常業務で密接に情報交換・協調していることを両者が実質的には一体で統合政府を形成している根拠にしているが、MMTerが常套手段とする論点暈しのword gameである。

ポイントは「日々の財政支出は中央銀行の新規の通貨発行によってファイナンスされているか」、つまりは「中央銀行は政府の打ち出の小槌として機能しているか」であり、特殊な状況で認められていることは両者が事実上一体の根拠になり得ない。

MMTの教祖は素人向けの説明を詳しい人に論駁されると「それは素人向けに単純化した話で、現実がそれとは異なることは承知している」と言い訳し、制度の細部の話を延々と続けて煙に巻こうとする傾向がある。独自の用語法を用いることや、文章がやたらと冗長なことも特徴である。

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