Wokeリベラル(文化左翼)の本音

日本共産党がアメリカのリベラル(≒ニューレフト)と同じことを言っているが、既成左翼の新左翼(文化左翼)化を示す好例である。

Wokeリベラル(文化左翼)は性や人種などの反差別闘争/アイデンティティ・ポリティクスにしか関心が無いのが特徴である。この👆教授の「あらゆる問題はジェンダーともつながっている」もジェンダーにしか関心が無いことの表れで、「ハンマーしか持たない人にはすべてが釘のように見える」に通じる心理である。

差別の解消(この教授の場合は「発言権のある地位」の男と女を入れ替える≒革命)が至上の目標ということは、それ以外はどうでもいいという冷淡さ・冷酷さと表裏一体でもある。例えばこれ👇は「貧しさをエンジョイしたらいい」と何ら変わらない考え方と言える。

日本の男性の中には、より自由な、自分が望む生き方と引き換えに、低い給与や安定した収入の欠如と折り合いをつけ、結婚しない人生を選ぶ人もいるでしょう。旧世代の男性と違い、家族を扶養するだけの経済力を提供できないからです。
これは、経済的な安定という点から見ると、問題です。しかし、見方を変えると、日本の男性が「自律性」を手に入れたとも言えます。20年前に考えられていた、いわゆる「男らしさ」にはもはや当てはまらない、さまざまなタイプの男性が出てきたのです。

フランス革命以来、理想主義者が過激化して大量の犠牲者を出す(当事者には「犠牲」という認識はないが)ことが何度も繰り返されたが、Diversity・Equity・Inclusionを掲げるWokeリベラルもその系譜に連なっていることには要注意である。

更に遡るとこんな前例も。

キリスト教の教える「奇蹟」を否定し、あくまで学問は科学的であるべしとの信念を曲げなかった。アレクサンドリアの知識層を代表し、がらんどうになった図書館でなお研究を続ける彼女のこうした態度はキリスト教過激派の憎しみの的となり、415年、ついに惨劇が起こる。

Wokeリベラリズムのルーツはキリスト教なので行動も似てくる。違いは殺害→キャンセル(社会的抹殺)。

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