森永&中野の「財源は通貨発行」
森永康平と中野剛志が現実離れしたストーリーで「税は財源ではない」ことを論証できたつもりになっているので、その欠陥を指摘する。
〈MMTを否定する日本の経済学者は時代遅れ?〉積極財政論がカルトではない理由
— 月刊文藝春秋(文藝春秋 電子版) (@gekkan_bunshun) June 1, 2023
中野剛志 森永康平#文藝春秋電子版https://t.co/bFNd9X3uMS
森永 「国の施策には財源として税収が必須」という主張もよくある誤解です。これについては、どのような説明をすればわかりやすいのかズッと考えてきました。最近では「国の最初」を使ったストーリーで説明しています。
まず、あなたが王様として国を作ったと考えてください。そして、その国には既に数人の国民がいます。作られた直後の国ですから橋などのインフラがありません。作る必要があります。インフラを国民に作ってもらうには、先にお金を渡して「これで作って」みたいな流れになるでしょう。
しかし、「橋を作るから税収が必要です」と言っても、作られた直後の国ですからお金が出回ってない。税収は存在しません。そこで財源を得るためにお金を発行することになる。このように「国の最初」について考えれば、「税収が無いから何もできない」という理屈のおかしさがわかります。
中野 森永さんの「国の最初」のストーリーでは、税収の前に国がお金を発行する必要性が説明されています。
「財源として税金を取らなくちゃいけない」と主張する人に「税金として何を徴収しているんですか」と訊ねれば「お金です」と答えるはずです。このお金は政府が発行しているわけですよね。ということは、まず政府がお金を発行していないと税を徴収できません。
しかし、「財源に税収は必須ではない。お金を発行すればいい」と説明すると、税金が不要と主張しているように思われがちです。
この設定を受け入れたとしても、国が通貨発行して物資や労働力を調達する(買う)のはしばらくの間だけで、市中に十分な量の通貨が行き渡れば、それ以降は「徴税して支出の財源にする」が常態になる。
設定を現実的にすると、現代の財政・通貨制度は銀行システムと不可分なので、中央銀行(現金通貨)と市中銀行(預金通貨)をストーリーに加える必要がある。
国は
中央銀行の与信(原則禁止)
市中銀行の与信(預金を中央銀行が現金化)
国民の銀行預金を徴税(預金を中央銀行が現金化)
など、徴税または借入で現金通貨を調達できるので、「まず政府がお金を発行していないと税を徴収できません」とはならない。
財源調達には借入(国債発行)という手段があるので、「国の施策には財源として税収が必須」ではないが、これは租税が財源ではないことを意味しない。
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