政府万能感に酔いしれるMMTerたち

中野剛志は真剣に国を憂いているのだろうが、MMTへの傾倒ぶりはほとんど宗教的情熱のようであり、マスコミを通じて誤った情報を拡散することで社会にも害をなしていると思われる。

この東洋経済のコラムでは「革命」と浮かれているが、中野自身が

イングランド銀行や国際決済銀行も、商品貨幣論を否定している。

と書いているように、現代のマネーが銀行の信用供与、つまりはバランスシートの資産(貸出等)と負債(預金)の両建ての拡大によって創造されることは銀行関係者にとっては19世紀以前からの常識である。

主流派経済学が通貨システムのメカニズムに関する理解を欠いていたことや、中央銀行の「力」を過大評価していたことは、「量的緩和するとインフレ率が急上昇する」と予測していた経済学者が多数いたことからもわかるが、それはMMTが正しい理論であることを意味しない。

「その紙切れで税金が払える」ことが通貨が流通する要因の一つになることは確かだが、その「前提」だけでは十分ではないことは、国民が自国通貨ではなく外国通貨を使うようになったジンバブエを見ればわかることである。通貨価値が暴落すると予想される状況では、民間は自国通貨から逃避して、外国通貨や商品貨幣などを交換手段に用いるようになる。

人々がお札という単なる紙切れに通貨としての価値を見出すのは、その紙切れで税金が払えるからだというのである。
MMTの理論は、この正しい貨幣論を「前提」として構築される。

MMTは普遍的な正しさを持っていないこの租税貨幣論を「正しい前提」として構築しているので、その後の論理展開はすべて無意味になる。中野は
「科学革命」などと息巻いているが、MMTは「政府は財政支出を中央銀行の通貨発行によってファイナンスしている」という天動説的な誤りからスタートしているので、革命など起こしようがない。

4ページ目以降ではシュンペーターを引用して「経済学者の不誠実さ」を論じているが、嘘八百を叫び続けるMMTerも不誠実そのものである。

もう一つの記事では「政府万能感に酔いしれるMMT批判者たち」と皮肉っているつもりのようだが、日本経済に関する分析が的外れである。

というわけで、「民間部門の貯蓄超過=財政赤字」というのが事実であると確認できたと思います。
さて、そうだとすると、デフレで民間投資が停滞し民間部門が貯蓄超過である間は、どうがんばっても財政赤字を減らすことは不可能ということになります。

「民間部門」と十把一絡げにしているが、企業部門と家計部門を分けなければ正しい診断は下せない。財政赤字の裏側にあるのは企業部門の黒字化だが、その原因分析がなっていない。

「デフレで民間投資が停滞し民間部門が貯蓄超過」も二重に間違っている。

まず、デフレは6年前に終わっている。

MMTは「通貨を自由に発行できる政府が経済をコントロールしている」という前提なので、民間投資の停滞は政府にあることになるが、これは全くの誤りで、人口減少のために潜在成長率が低い(精々1%)にもかかわらず、要求される資本コストが8%もあることが根本原因である。

資本コストを上回る利益率を達成するための人件費抑制と投資の海外シフトが、利益の激増に設備投資が追随しない→貯蓄超過(主に対外直接投資の株式と待機資金としての現預金)を生んでいるのである。

財政赤字を拡大しても潜在成長率を大幅に引き上げられない以上、資本コストを引き下げない限り、企業部門発のデフレ圧力は残り続ける。MMTerは政府部門にすべての原因があると思い込んでいるため、この単純な事実にいつまでたっても気が付かない。

政府万能感に酔いしれているのは中野たちMMTerなのである。

MMTの起源は国家総動員?

MMTが政府万能論的なのは、第二次世界大戦の国家総動員からインスピレーションを得ているからではないかと考えられる。総力戦体制では、中央銀行は独立性よりも低金利を維持して政府の資金調達を助けることが優先され、マクロ経済も民間需要よりも公的需要、金融政策よりも財政政策に左右される。総支出の上限を決めるのが経済全体の財・サービスの供給力であることもはっきりする。MMTのコアのJob Guarantee Programも徴用・徴兵のようなものであり、インフレ抑制に金融引き締めよりも割当や価格統制が有効とするところも戦時体制的である。

これについては改めて別記事で取り上げる予定である。

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