「男性学の権威」の空理空論

このような理想論が無意味(というよりも有害)なのは、人間が社会生活を営んでいくためには、他者の期待に応える必要があることを無視しているからである。本人が納得した選択肢でも、他者が受け入れてくれなければ、社会的に孤立してしまう。

日本には、「男性は総合職であるべき」という固定観念が根強く残っています。多くの親は、娘が大企業に勤務する男性を結婚相手として連れてきたら歓迎するでしょうが、その男性が一般職だったら難色を示すのではないでしょうか。本人たちも、親の反応を気にして何となく引け目を感じてしまうかもしれません。
こうした状況は問題だと思います。職種も配偶者も、選ぶ上でいちばん大事なのは本人の納得感で、この時に周囲を気にすると選択肢が減ってしまいます。本来、理想的なのは、誰もが自分が選んだ道を自信を持って歩める社会です。なのになぜ、男性一般職には引け目のようなものがつきまとうのでしょうか。

このような論者は「本人が納得する物を作れば誰かが必ず買ってくれる」と想定しているわけだが、そのような「セイの法則」は現実には成立していない。社会で生活していく上で大事なのは(独りよがりな)本人の納得感ではなく、他者から評価されることである。売れない物を作り続けていれば、やがては本人の納得感も消えていく。

「男性一般職には引け目のようなものがつきまとう」のは、女の親が難色を示す以前の問題で、そもそも女の親に会えないから、つまりは女に選ばれなくなるからである。男が一般職の道を自信を持って歩み始めても、その先に失敗人生が待っていることに気付くのは時間の問題である。妊娠・出産を先送りしてきた女が40歳になって「しまった」と思っても後の祭りと同じことである。

大多数の男が「立ち止まるという選択肢を知らないまま働き続けて」いるのは、立ち止まったら現在の社会的地位を保てなくなり、女に見限られるからである。地位と女からの評価を保つためには走り続けなければならない(赤の女王)。政治家や経営者は男が多いのはこのためである。

いちばん望ましいのは、男性一般職も女性総合職と同じように増えていくことです。

そのためには、総合職の男が一般職の女と結婚するのと同程度に、総合職の女が一般職の男と結婚するのが一般化しなければならないが、それはあり得ない。男と女では配偶者に求めるものが違うからである。その違いは出産能力の有無に由来するので、教育では変えられない。

いくら経済的に余裕がある女性が増えたとしても、男性を養うため何かを犠牲にする覚悟を女性が持ってくれないかぎり、高所得女性と低所得男性のカップルは増えることはないだろう。
女性の中には男性の容姿よりも年収や職種を重視する人がいます。男性は女性に対して若さや魅力を求めることが多く、女性は男性の経済状態や安定性を求めると言われますが、実際に複数の調査がそれを裏付けています。

若者の人生を狂わせる新左翼系有害イデオロギーのジェンダー研究は、ハンガリーを見習って公教育から追放するべきではないだろうか。

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。
私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。
女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。

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