トーマス・ロックリー(木下ロックリー トーマス)の『YASUKE』(US版は『AFRICAN SAMURAI』)は弥助に関する自分の創作以外にも、上杉謙信は便所下に潜んだ忍者に肛門から胃まで突き通されて死んだ説や、明智光秀の徳川家康饗応事件、大祝鶴姫等々の創作がてんこ盛りで"True Story"からは程遠い内容だが、それ以前の話として、ロックリーの日本文化・歴史理解が怪しいことを示す点が見つかるので、ここでは二点を示す。
一点目は、『くろ助』の著者の来栖良夫を女(she/her)としていることである。おそらく、来栖の旧姓が木村であることから「結婚して改姓→女」と判断したのではないかと推測できるが、日本人ならそうは考えないだろう。
二点目が大名の名称についてで、下の地図からも二つのおかしなところが見つかる。
一つはSHIMAZU(島津)ではなくSATSUMA(薩摩)となっていることで、本文中でもSatsuma clan(薩摩氏)と繰り返されている。日本人なら「薩摩の島津氏」を「薩摩氏」とは間違えないだろう。
もう一つが、大友氏、大村氏をŌTOMO(おーとも)、ŌMURA(おーむら)としているのに、毛利氏はMORI(もり)となっていることである。本文中でもこの通りで、ロックリーが毛利を「もうり」と読めていないことが強く示唆される。なお、『信長公記』の太田牛一は本文中でŌta(おーた)と記されている。
これらの点だけからも、ロックリーが日本人の常識を持っていない、つまりは日本の文化・歴史について書くだけの基礎知識を持っていないと断定できそうである。