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トーマス・ロックリーの日本文化・歴史理解の怪しさ

トーマス・ロックリー(木下ロックリー トーマス)の『YASUKE』(US版は『AFRICAN SAMURAI』)は弥助に関する自分の創作以外にも、上杉謙信は便所下に潜んだ忍者に肛門から胃まで突き通されて死んだ説や、明智光秀の徳川家康饗応事件、大祝鶴姫等々の創作がてんこ盛りで"True Story"からは程遠い内容だが、それ以前の話として、ロックリーの日本文化・歴史理解が怪しいことを示す点が見つかるので、ここでは二点を示す。

一点目は、『くろ助』の著者の来栖良夫を女(she/her)としていることである。おそらく、来栖の旧姓が木村であることから「結婚して改姓→女」と判断したのではないかと推測できるが、日本人ならそうは考えないだろう。

Though the author does not say how she found out about Yasuke, in her afterword, Kurusu talks of being fascinated by a map of Africa which was on the wall of her elementary school when she was a child in the mid-1920s. She talks in scornful words about “European empires, fat merchants and bearded generals” who “chewed up” the African continent. The links Yasuke with the optimistic new Africa that in 1968 was only then emerging, the independent Africa of nations. In doing so she was the first of many people  to draw inspiration his story as opposed to simply recording his existence.

p.365
強調は引用者

It is clear her message in Kurosuke is that Yasuke is a story of hope for Africa’s future, and Yasuke’s story was being liberated at last even as Africa itself seemed to be on the verge of freedom from centuries of domination and plundered by outsiders.

p.366
来栖良夫・羽仁節子『おかあさん あのね』より

二点目が大名の名称についてで、下の地図からも二つのおかしなところが見つかる。

『YASUKE』より
関門海峡が繋がっているように描かれている

一つはSHIMAZU(島津)ではなくSATSUMA(薩摩)となっていることで、本文中でもSatsuma clan(薩摩氏)と繰り返されている。日本人なら「薩摩の島津氏」を「薩摩氏」とは間違えないだろう。

もう一つが、大友氏、大村氏をŌTOMO(おーとも)、ŌMURA(おーむら)としているのに、毛利氏はMORI(もり)となっていることである。本文中でもこの通りで、ロックリーが毛利を「もうり」と読めていないことが強く示唆される。なお、『信長公記』の太田牛一は本文中でŌta(おーた)と記されている。

これらの点だけからも、ロックリーが日本人の常識を持っていない、つまりは日本の文化・歴史について書くだけの基礎知識を持っていないと断定できそうである。

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