「日本に余力はない」という困った思い込み

元八千代証券のエコノミストはさておき、弁護士の財政分析の誤りについて取り上げる。

アベノミクス以降、借換債(国債の借り換えのために発行されるもの)も含めた国債の総発行額は年間150兆円ほど。うち5~7割ほどを実は日銀が民間銀行等を通じて買い入れるインチキをしている。日銀が手を引けば国債が暴落し、金利が急騰し、国の資金繰りがつかなくなる、つまり出口がありません。

このような論者が理解していないのは、国債金利は基本的に予想インフレ率によって決まるということである(加えて実質経済成長率も)。

国(中央政府)には徴税権という超強力な集金力・返済能力があるので、民間企業や個人とは違って信用リスクゼロでカネを借りることができる。従って、国債増発→市中のマネー流通量増加→超過需要→インフレのリスクが大幅に高まらない限り、国債金利が急騰(価格暴落)することはない。マネーは民間向け信用と政府向け信用の合計なので、政府向け信用(≒預金取扱機関と中央銀行の国債保有額)だけでは決まらない。

現在では、日本銀行のyield curve controlによって長期国債の金利が引き下げられていることは確かだが、量的・質的金融緩和が始まる前から10年金利は1%台に低下していたので、日銀が手を引いて市中消化に任せたとしても、一時のギリシャのような水準まで金利が高騰して資金繰りがつかなくなることにはならない。国債金利の上昇は利払費の増加につながる反面、国債を買う金融機関の収益を改善するプラス面もある。

政府総債務残高の対GDP比がその明白な理由です。多くの国は100%未満ですが、日本は約240%で世界ダントツ1位。財政の持続可能性が、異次元に悪いですから。

国家は永続的存在なので、償還期限が来た国債はその時点の予想インフレを織り込んだ金利で借り換えることで、完済をいつまでも先送りできる(借り換えは永久債の金利を実勢に合わせてリセットするようなもの)。従って、国債残高(の対GDP比)は財政の持続可能性には直結しない。税収で利払費を十分に賄える間は持続可能である。

もちろん国家も永久不滅ではないが、国家が滅びる時には貸し手(銀行や保険会社、年金基金など)も滅びている可能性が高いので、考える必要がない。

いま「ウケる」のは安心に訴える話。みんなそれに飛びついちゃう。でも私はウソはつけません

いま「ウケる」のは安心に訴える話ではなく、この弁護士のように不安に訴える話だろう。実際、1990年代から「財政破綻が迫る」といった書物は大量に発行され続けている。嘘をついているつもりはないのだろうが、間違いであることは間違いない。

日本の問題は「余力はない」ことではなく、国家財政に余力はないという間違いを信じて政府が無為無策を続け、本当に余力を失ってしまうことである。

補足

国債残高が激増しても、破綻論者の予測に反してインフレ率と金利が歴史的低水準を続けているのは、企業部門が強力な支出抑制と資金余剰(←現預金積み上げと対外直接投資)を続けているためであり、その原因は、

人口減少→国内需要縮小の予想→国内投資抑制
グローバル投資家が要求する株主資本コスト≫潜在成長率

にある。国債を大量に増発して財政支出を拡大するだけでは日本経済は復活できないことは認識しなければならない。

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