左派が「労働者の敵」になったもう一つの理由

來宮神社に行く際に無人の来宮駅ではなく有人・バリアフリーで車椅子対応のバスやタクシーも多い隣の熱海駅での下車を小田原駅員に勧められたことを「乗車拒否」だと騒ぎ、結局は熱海駅から来宮駅に来た4人に重い車椅子を運ばせた活動家を社民党が全面的に擁護してJR東日本を非難している。

現在でも「労働者の使い捨てを許さない」などと労働者の味方を標榜する左派政党が、現場の労働者に過大な負担を強いた側に回ったわけだが、このような現象は西側先進国では広く見られる。その主因には、高学歴化と産業構造の変化により、左派の政治家・活動家が現場の労働者にシンパシーを感じなくなったことが指摘されている。1970年前後に暴れた若者の世代がその主体である。(👇はThomas Frankへのインタビュー)

(反戦デモが続いた)大学キャンパスの若者を思い出してください。当時の民主党は彼らを見て、「彼らの側につく政党であるべきだ」と悟った。当時、多くの労働組合がベトナム戦争を支持しました。労組メンバーには、キング牧師の公民権運動を支持する人々も大勢いましたが、人種差別主義者の白人も含まれていた。これを見て、民主党は「彼らとの関係はオシマイだ」と判断したのです。
70年代から90年代の民主党を眺めると、彼らは自己変革を繰り返していた。かなり詳しく調べました。この時代の各派が一致していたことは、「民主党はもはや労働者の政党ではない」であり、繰り返しになりますが「見識があり、高等教育を受け、裕福な人々の政党」をめざした。
You identify the 1980s as the beginning of the end for the traditional working-class Labour Party. You seemed to imply that the 1968 generation, the sexual revolution and the cultural shift toward liberalism, laid the groundwork for the eventual change of the guard. Was Labour’s shift from a working-class party to a middle-class liberal party a question of changing values?

ほとんど指摘されないもう一つの要因が左派のフェミ化である。

「弱きを助け強きを挫く」を大義にする左派は、一般労働者の代わりに障碍者や少数民族、外国人などの弱者・マイノリティと称される人々の側につくようになったが、その中でも大きな集団が人数的にはマジョリティの「女」で、必然的にフェミニストの勢力が拡大した。

フェミニズムの世界観は「男は自分が家庭外で稼得労働することで、女を家庭に閉じ込めて無償労働を強要(奴隷化)している」というものなので、男の一般労働者は打倒すべき敵になり、遠交近攻で大資本は敵から同盟者になる。「二流労働者」を見下す思想でもあるので、女の労働者は敵ではないが「同志」扱いはされない。男叩きや自分たちへの利益誘導に利用するための単なる駒である。

三流フェミニズム小説の『パワー』に描かれているように、フェミニズムは女が『動物農場』の🐷のようにやりたい放題(→弁えない)できるパワーの獲得を目指す思想であり、現場で働く男の労働者へのシンパシーの無さ(というより見下し)が特徴である。というのも、自分がその仕事を代わる可能性を全く想像していないからで、今回の騒動でも車椅子の活動家が女、車椅子を運ばされた4人が全員男だったことが象徴的である。『パワー』でも、育児は男の仕事になっているが、土建や廃棄物処理が女の仕事になっているようには描かれていない。フェミニストの理想社会は自分がバラモンかクシャトリアのカーストのようなものである。

よく知られている四つのヴァルナは、バラモン(司祭)、クシャトリア(王族、軍人)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(隷属民)です。さらにシュードラの下には「ダリット」というカーストを持たないカースト制度の外に位置づけられる最下層身分の人々がいます。

いわば「ピンクの貴族」の政治集団に変質して労働現場から離れたことが、左派が労働者の味方ではなくなった理由の一つということである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?