イギリス総選挙で労働党が自滅~Identity PoliticsとTribalism

12月12日のイギリス総選挙では、労働党の牙城だったイングランド北部で保守党が勝利したことが注目されている。2016年のアメリカ大統領選挙でトランプがRust Beltで勝利したことと似ている。

一方で、1950年代から労働党が勝ち続けたかつての炭鉱町、イングランド北東部ブライズ・ヴァリーでは保守党候補が勝った。労働党は得票率を15ポイント減らした。
クンスバーグ編集長は「勝った候補が当選演説で、ボリス・ジョンソンの名前を口にしたのも興味深い。ジョンソン氏は何度も何度も北東部を訪れた。ジョンソン氏は、他の保守党が影響力を発揮できなかった地域にも訴えかけることのできる保守党党首だったのかもしれない」と話している。

この地域での労働党の敗北は事前に予測されていたが、その理由は労働党が「労働者の党」から「マイノリティの党」に変質したことと分析されている。これもアメリカと同じである。

どの階級のイギリス人の間でもコービンよりジョンソン人気が上回っているが、その差は労働者階級で最大になっている(20ポイント)。労働党が伝統的に、文字どおり労働者階級の党だったことを考えると衝撃的だ。多くの労働者、特に北部の人々は、労働党をロンドン中心主義で、現実的というよりイデオロギー的で、コア支持層より各種「マイノリティー」の声を代弁するのにとらわれているとみている。

英労働党と米民主党の変質の起源は約半世紀前の「革命」にある。党幹部が高学歴の「革命」世代に交代するにつれて、イデオロギーが「支配的なエスニシティ集団の成人男性」とその家族の厚生から、そのカテゴリーから排除された人々=マイノリティの権利拡大(→マジョリティに対する闘争)のidentity politicsへと変質していった。1990年代後半からはサッチャー路線にリベラル色を加えた「第三の道」に走り、現在では紅衛兵と化した革命の第三世代が"woke"して暴れ回っている。

ウォーラーステインは、世界的な若者の反乱の年である1968年を世界革命だと位置づけています。現在主流となっている新しい社会運動(フェミニズム、同性愛解放運動、少数民族解放運動、環境保護運動など)は、60年代にルーツがあります。
社会運動は、自らの闘争を、労働者対資本家の闘争として定義した。しかし、「労働者」とは誰のことなのか。実際的には、それは、所与の国における支配的なエスニシティ集団の成人男性として定義されがちであった。そのようなひとたちの大半は、なんらかの教育を受けた熟練・半熟練労働者であり、19世紀の世界の産業労働力の大部分は、そういったひとびとによって構成されていた。このカテゴリーから「排除」されたひとびとは、社会主義/労働者組織において占めるべき立場がなかったために、おのおのの身分集団のカテゴリー(一方には女性、他方には人種的、宗教的、言語的、およびエスニシティ的集団)で組織化するよりほかなかった。

労働党や民主党は建前では「労働者の味方」であることを止めていないが、異性愛の白人の男(Straight White Male)は「マイノリティを抑圧する敵」なので、本音ではその苦境も自業自得だとしてむしろ歓迎している。Identity politicsについては下の動画を参照(日本語字幕付き)。

英米加では「反差別」が暴走してTがLGを攻撃するなど、新左翼運動の末期のような状況になっている。日本の左派・某政党がこの対立構造を輸入しようとしていることには要注意である。

さらに、ジェレミー・コービン党首率いる労働党は、昔からの支持層だった、多くの一般労働者たちの代弁者の党、という原点からはるかに遠ざかってしまった。一例を挙げると、労働党は女性の政治進出を促すために、一部の選挙区で党の立候補者を女性に限定する制度を設けてきた。しかし労働党は、そのような選挙区の立候補者として「自らの性自認は女性だ」というトランスジェンダー女性(つまり、男性として生まれたが自分を女性だと認識している人)も受け入れることにした。労働党のある地方組織では、女性担当責任者をトランスジェンダーが務めていたりするくらいだ。女性の権利問題のために長年活動してきた労働党員の女性たちがこれに懸念を表明すると、彼女たちはトランスジェンダー差別だと非難された。

マイノリティの味方なので、移民制限派もレイシスト=敵と認定して攻撃する。2010年の総選挙では、Gordon Brownが東欧からの大量の移民流入に苦情を言った長年の労働党支持者を"bigoted woman"と呼んだことが問題になった。

イギリス社会がグローバルエリートのAnywheresと土着的な人々のSomewheresに分断されていると指摘するDavid Goodhartは、著書で高級官僚とテレビ局重役が自国(民)を優先するべきではないと話した衝撃的なエピソードを紹介しているが、Emmanuel Toddが指摘するように、このようなエリートに大衆層が反発するのは当然である。

I was struck by this dining at an Oxford college in Spring 2011. When I said to my neighbour, one of the country's most senior civil servants, that I wanted to write a book about why liberals should be less sceptical about the nation state and more sceptical about large-scale immigration, he frowned and said, 'I disagree. When I was at the Treasury I argued for the most open door possible to immigration … I think it's my job to maximise global welfare not national welfare.'
I was surprised to hear this from such a senior figure in a very national institution and asked the man sitting next to the civil servant, one of the most powerful television executives in the country, whether he believed global welfare should be put before national welfare, if the two should conflict. He said he believed global welfare was paramount and that therefore he had a greater obligation to someone in Burundi than someone in Birmingham.
英国で見られたことは、エリートへの敬意が保たれるのは、指導層がある程度の国民の安全をきちんと示しているときに限られるということです。これはグローバル化への批判の重要な点です。
もし指導層が、人々に国内での最低限の安全をもたらさないまま、自分はどこまでも人々を引っ張っていけると想像しているとしたら、それは完全な幻想です。注意しなければなりません。英国の人たちでさえ反乱を起こしたのですから。
英国の場合、トランプ現象に当たるのはEU離脱問題(Brexit)ですが、そこではむしろ外国人嫌いが原動力になりました。あまりにたくさんの移民を受け入れることへの拒否反応です。しかし、それを外国人嫌いと呼んでいいのかどうか。だって、人々には自分の土地にやってくる人たちについて意見を持つ権利はあるわけですから。
だから、外国人嫌いというのは良い言葉ではないでしょう。むしろEU離脱をめぐって、英国でも民族とか国民という問題が優先課題になったというほうがいいかもしれません。

同様の指摘は"Political Tribes"の著者Amy Chuaも行っている。「民族とか国民という問題」すなわちtribalismが、tribeの解体を志向するグローバリズムやidentity politicsへの反対→労働党惨敗に結実したと言える。

Brexit, for example, was a populist backlash against elites in London and Brussels perceived by many as controlling the United Kingdom from afar and being out of touch with "real" Britons―the "true owners" of the land many of whom see immigrants as a threat.

スコットランドでは反Brexitのスコットランド国民党が大勝したのも、スコットランド人のtribalismの反映と言える(BBC記事⇩)。

一方で、議席を伸ばしたSNPのニコラ・スタージョン党首は13日朝、「スコットランドは実にはっきりと意思表示をした。私たちはボリス・ジョンソンの政府など欲しくないし、私たちはEUを出たくない」と演説し、2014年に続く、2度目の独立住民投票を実施したい意向をあらためて強く示した。

日本の左派の一部は、ジョンソン首相を極右の排外主義者と批判し、コービンを一般庶民と労働者の味方の反緊縮運動の旗手として持ち上げていたが、左派が人間にhard-wiredされたtribalismやその集合体としてのnational identityを「悪」と認識していることを白状したようなものである。左派の本質はコスモポリタニズムを理想とするグローバリストすなわちAnywheresで、大衆層=Somewheresの味方をしているのはポーズに過ぎない。庶民が移民に反対すれば即座にレイシスト認定して攻撃してくる。

たとえばルペンのように「移民がフランス国民の職を奪っている」と主張する極右の台頭が始まります。アメリカのトランプ大統領、イギリスのブレグジット(Brexit, EU離脱)、そして日本の安倍政権もその流れの一環です。いまや排外主義やナショナリズムが世界中に広がっています。そして、こうした状況を作り上げてしまったのが、中道左派までも巻き込んで展開された緊縮政策でした。
反緊縮運動と言えば、まず筆頭に挙げられるのはイギリス労働党を率いる党首ジェレミー・コービンです。
From the point of view of many working class voters, for whom love of country is still a deeply felt emotion, Corbyn seems to side with the country’s enemies more often than he does with Britain.
“Because they hate Corbyn that much,” he said. “The biggest message they can send to him is to elect a Tory government.”
As Corbyn’s policy platform in Britain’s election showed, left-wing parties now have little to offer indigenous, working class people outside the big cities—and their activists often add insult to injury by describing these left-behind voters as “privileged” because they’re white or cis-gendered or whatever.

ジョンソン首相を緊縮主義者と言うのも誤りで、選挙戦中に国債を増発してインフラストラクチャーや教育、テクノロジー分野への財政支出を拡大すると表明していた。

勝利演説でも、自己決定権をEUから取り戻して公的支出を拡大すると強調している(3:42~)。

サッチャー、レーガン以来、ネオリベラリズム・グローバリズム路線を先導した英米でtribalismを掲げる個性的な指導者が登場したのは、振り子が逆に振れ始めたことを示しているのだろうか。

日本でも、自民党の一部に同様の動きが見られるが、左派の一部はこのグループを「極右」「歴史修正主義者」だと海外のリベラルに触れ回っている。

一方、日本の左派が排外主義者・極右と認定する安倍首相は「私はリベラル」と自認しているらしい。

これまでの発言もナショナリストではなくグローバリストのものである。外人投資家のためにNational Identityを破壊すると公約する極右がいるはずがない。

もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。
外国の企業・人が、最も仕事をしやすい国に、日本は変わっていきます。
日本を、能力あふれる外国人の皆さんがもっと活躍しやすい場所にしなければなりません。
そのとき社会はあたかもリセット・ボタンを押したようになって、日本の景色は一変するでしょう。

三島由紀夫が生きていれば批判していることは間違いない。

日本の左派の目が節穴であることがよくわかる。

参考

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