パリオリンピック開会式で問題となったシーンは「最後の晩餐」ではなくギリシャ神話のディオニュシア祭(ディオニュソス=バッコスの祭り)であり、キリスト教を冒瀆する意図は全くなかったというのが公式見解なのだが、これはほぼ確実に言い逃れだと判断できる。
そう判断できる理由は、ディオニュシア祭(バッコス祭)は魔女のサバトと同一視されていたという歴史があるからである。
最初からギリシャ神話の世界を再現していればともかく、明らかに「最後の晩餐」を「転倒」させて再現したシーンから繋げていたので言い訳は通用しない。多くの日本人にはピンとこないだろうが、この開会式はオリンピックにサタニズムが浸透していることを「分かる人にはわかる」ようにアピールしたものだったと言える。染色体XYボクサー(性器の形態異常の男)を女子の部に出場させたのも、「転倒」を実践するためである。
なお、昔の西欧では、日常の社会規範・諸慣習が転倒されるのはカーニバルの期間だけだが、オリンピック関係者などのWOKEな人々は、その状態を世界の新常態にすることを目標としている。