オリンピック開会式はサバト

パリオリンピック開会式で問題となったシーンは「最後の晩餐」ではなくギリシャ神話のディオニュシア祭(ディオニュソス=バッコスの祭り)であり、キリスト教を冒瀆する意図は全くなかったというのが公式見解なのだが、これはほぼ確実に言い逃れだと判断できる。

パリ五輪の公式Xページでは、このシーンの写真を掲載し、「ギリシャ神話の神ディオニュソスの解釈は、人間同士の暴力の不条理さを私たちに認識させる」と説明している。ディオニュソスはギリシャ神話に登場する神で、ワイン醸造、豊穣、祝祭を司る。

そう判断できる理由は、ディオニュシア祭(バッコス祭)は魔女のサバトと同一視されていたという歴史があるからである。

16世紀中頃から17世紀中頃にかけての西欧各地で、新旧両教会の聖職者によって中世以来の伝統的な民衆世界の慣習(民衆文化)が非難され抑圧あるいは廃止されていく。

『図説 魔女狩り』p.53

カーニバルを含む当時の祭りの特徴は、日常の社会規範が「転倒」されることにあった。この非日常の時空間では愚者が賢者よりも称賛され、異性の服装の着用が行われるなど性役割の転倒が行われた。

p.53

以上のようなカーニバルに代表される民衆世界の慣習は、魔女信仰の中核にあるサバトのイメージにきわめて似通っている。神ではなく悪魔が崇拝され、十字架が冒瀆され、近親・同性間の乱交が行われ、踊りにくい背面舞踏が舞われ、幼児の肉が食されるのがサバトであり、それはさしく日常の諸慣習の転倒の具現化にほかならない。

p.55-56

近世フランスの人々の言葉の中に、実際に、祭りとサバトを関連づけて理解している例を見出すことができる。

p.56

すなわち、バッカス祭と魔女のサバトは同じ存在に支配されている。つまり主催神バッカスは実は山羊の格好をした悪魔にほかならない。バッカス祭にはサテュロス(バッカスに従う半神半獣の森の神)とマイナス(バッカスの巫女)が参加しているが、それらは実際には悪魔と魔女のことだと考えたのである。

p.59

最初からギリシャ神話の世界を再現していればともかく、明らかに「最後の晩餐」を「転倒」させて再現したシーンから繋げていたので言い訳は通用しない。多くの日本人にはピンとこないだろうが、この開会式はオリンピックにサタニズムが浸透していることを「分かる人にはわかる」ようにアピールしたものだったと言える。染色体XYボクサー(性器の形態異常の男)を女子の部に出場させたのも、「転倒」を実践するためである。

なお、昔の西欧では、日常の社会規範・諸慣習が転倒されるのはカーニバルの期間だけだが、オリンピック関係者などのWOKEな人々は、その状態を世界の新常態にすることを目標としている。

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